不撓不屈・ボスの自転車人生

不撓不屈・ボスの自転車人生

後閑 信一 後閑 信一 ごかん しんいち 元競輪選手  平成2年4月に65期生としてデビュー。落車による大ケガや数々の困難を不撓不屈の精神で克服。第46回競輪祭、第15回寛仁親王牌、第56回オールスターとG1で3V。面倒見いい親分肌と風貌から〝ボス″と称された。平成30年1月引退。通算成績は2158戦551勝、2着311回、3着255回。

第106回 絶望感の中、帰途につく  2020年7月16日

 自身、3年連続のケイリンGP出場をかけ乗り込んだ小倉競輪祭は、賞金では殆ど確定の状況でしたので気持ちも去年よりは少し楽だったように感じます。そして成績はパッとせず、自分の力で決定出来ないもどかしさもありましたが、競輪祭の少し前に妻のお腹に3人目の子供を授かったので、何とかこのおめでたい流れが味方してくれる様な気がしていました。その思いもあり、成績には落ち込まずに前向きに1レース1レースを走っていました。
 そしていよいよ小倉競輪祭もクライマックス!優勝戦のメンバーが出揃いました。1番車・高木隆弘選手、2番車・吉岡稔真選手、3番車・児玉広志選手、4番車・本田晴美選手、5番車・東出剛選手、6番車・大里一将選手、7番車・神山雄一郎選手、8番車・會田正一選手、9番車・加倉正義選手。号砲が鳴りました!前を取った神山雄一郎選手、後位は高木隆弘選手と東出剛選手が競り合うレース。本田晴美選手が中団で吉岡稔真選手が後方で構えます。私はレースを緊張しながら見ています。私の横には日本自転車振興会(今のJKA)の方がいて、ケイリンGPの出場が決まったら参加申込書にハンコを押してケイリンGPの出場の手続き待ちのワクワクな状態!9名のうち神山選手、吉岡選手、東出選手、児玉選手、この4人の誰かが優勝すれば私のGPは確定する。私はメンバーを見ても神山選手の後ろは高木選手と東出選手の競り合い、會田選手はその後ろ、展開を自分なりに予想しても優勝するのは吉岡選手か神山選手だろうと思っていました。レースは始まり打鐘でペースが緩み吉岡選手が一気に先行態勢、神山選手は捲りに構えました。2コーナーで猛然と神山選手が捲り返す!誰もが捲りきってしまうと思ったその瞬間!吉岡選手が神山選手に対して車体を外に振ってけん制したのです。すると神山選手の後ろで高木選手との競り合いに勝ち追走をしていた東出選手が振られた神山選手の車輪に接触し落車してしまったのです!1着でゴール通過は吉岡選手です。
 このままでいくと私はグランプリの3年連続出場が決定します。すると、審議対象選手が、なんと1着で通過した吉岡選手ではありませんか!喜びが一転、不安に包まれました、、。そしてハンコを持っていた私の耳に入ってきた言葉は「1着で到達した1番選手は失格といたします」との放送が流れ、場内は騒然となりました。当然私の心の中も動揺が隠せません。しかし、私は平然を保った振りをして「G1を取れなかった自分のせいだ!来年はG1を取ってGPに出場すればいい!」と自身に課したレベルを上げて、仕方の無いことなので気持ちを切り替えてメディアドームを後にしました。
 そして妻へ「今競輪場を出た」と連絡し、グランプリ出場が叶わなかった事を伝えると、、なんだか妻の様子がおかしいのです。最初から泣いていた様に思いました。妻は小さな声で「赤ちゃんがダメになってしまった」と言った後に泣き崩れてしまったのです。GPがダメになり、授かったばかりの赤ちゃんまでもがダメになってしまい、私は頭の上にどでかい鉛の玉が2つ連続で落ちてきて気が遠くなり、胸が張り裂けそうな思いで空港に向かい絶望感の中、飛行機に乗ったと思います。正直、そこからは記憶がありません。先ずは家に帰り妻と娘2人と肩を寄せ合いながら「俺の人生、もはやこれまでなのか?」と絶望感しかない年末を過ごした覚えがあります。しかし、生活をしていくには競輪選手は走るしかない!ファンの方々に私の家庭に事情などは関係ない!走るからにはベストを尽くす!そんな複雑な狭間で年末を迎えた記憶があります。

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