不撓不屈・ボスの自転車人生

不撓不屈・ボスの自転車人生

後閑 信一 後閑 信一 ごかん しんいち 元競輪選手  平成2年4月に65期生としてデビュー。落車による大ケガや数々の困難を不撓不屈の精神で克服。第46回競輪祭、第15回寛仁親王牌、第56回オールスターとG1で3V。面倒見いい親分肌と風貌から〝ボス″と称された。平成30年1月引退。通算成績は2158戦551勝、2着311回、3着255回。

第52回 えっサッサ体操から勝負  2019年2月14日

 入学式も終わり競輪学校の宿舎生活が始まりました。俺達の頃は古い宿舎で、壁とたたみの間から隙間風が入り、ムカデが出るようなボロボロの宿舎でした。エアコンも無く、洗濯場は外、テレビは地下室に14インチが一台だけ。今思うと、あのような環境で10ヶ月も過ごしたものだ!とつくづく思います。でも当時は夢の競輪学校でしたので、不便さや厳しさも全く気にならず、ただ毎日必死でした。
 朝は真冬でも外に出てまず点呼!「B組1班総員12名!点呼開始!イチ・ニー・サン・シー・ゴー・ロクリマン、 ケツ!」この号令から一日が始まります。それから上半身裸になり、えっサッサ体操です。足を前後に開いて腰を落とし、下から握り拳を上に振り上げ元気よく「えーっサッサ!エッサ!エッサ!えっサッサ!」と。恥ずかしかったですが、先輩64期生の真剣なえっサッサを見たら、真剣にやらねばと恥ずかしさに耐えました。3日もすると慣れ、逆に恥ずかしがるとカッコ悪く見える事に気づきました。負けず嫌いで何事にも入り込んでしまう俺は「俺のが一番芸術的で気合いの入ったえっサッサだ」と朝から勝負でした。次はランニングです。掛け声を出しながら競輪学校の正門を出て坂の下のロータリーを回ってきます。毎朝、裸で。
 入学後の数日間は64期生の競走訓練や授業風景など、色々と説明を受けました。初めて見る競走訓練は(サイクルにっぽん)当時の民放テレビ東京の競輪番組と同じ!俺も早く走りたいと眼を輝かせていたのを思い出します。

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