不撓不屈・ボスの自転車人生

不撓不屈・ボスの自転車人生

後閑 信一 後閑 信一 ごかん しんいち 元競輪選手  平成2年4月に65期生としてデビュー。落車による大ケガや数々の困難を不撓不屈の精神で克服。第46回競輪祭、第15回寛仁親王牌、第56回オールスターとG1で3V。面倒見いい親分肌と風貌から〝ボス″と称された。平成30年1月引退。通算成績は2158戦551勝、2着311回、3着255回。

第55回 無名の吉岡稔真選手を意識  2019年3月12日

 先輩期64回生に怯えながらの学校生活でも癒されるひとときがありました。それは彼女との電話の時間です。厳しい日課ながら電話できる時間帯がありました。公衆電話がいくつも並んでいて、生徒が引っ切り無しに電話をしています。週ごとに電話当番がいて、家族や友人、外部からかかってきた電話を受けると保留し、放送で呼び出すのです。64回生と65回生が一緒に学校生活を送っていましたので、先輩期の64回生がよく電話当番をしていたように思います。「57番・後閑生徒、1番にお電話です」と放送され、放送を受けた生徒は電話に向かうシステムです。たまに64回生の怖い先輩が生意気と思う65回生に対し「○○生徒チェック!」とか「○○番チェック!」と脅しの放送をしました。だいたい同じ人が呼び出されるので笑いを堪えていました。
 電話はかかってくるだけではなく、こちらから家族や友人にテレホンカードでかけられました。俺は毎日毎日、彼女に電話をかけました。するとある日、俺と同じ技能免除で入学した京都府・山本真矢選手が、隣のブースでブツブツ文句を言っている声が聞こえたのです。耳を澄ますと、「福岡の吉岡!」とか「負けない!」とか言っていました。隣で彼女と電話しながら、真矢の負けず嫌いとプライドの高さに感心していました。真矢は千mTTの全国チャンピオン。俺はスプリントの全国チャンピオン。この頃から福岡県でろくに部活もせず帰宅部だった家具屋の息子、吉岡稔真という無名の選手を意識するようになったのです。

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