不撓不屈・ボスの自転車人生

不撓不屈・ボスの自転車人生

後閑 信一 後閑 信一 ごかん しんいち 元競輪選手  平成2年4月に65期生としてデビュー。落車による大ケガや数々の困難を不撓不屈の精神で克服。第46回競輪祭、第15回寛仁親王牌、第56回オールスターとG1で3V。面倒見いい親分肌と風貌から〝ボス″と称された。平成30年1月引退。通算成績は2158戦551勝、2着311回、3着255回。

第66回 第1号車は日産シーマ  2019年7月1日

 A級のデビユー戦の優勝で賞金の額も3桁に行く様になり、夢は更に広がっていきました。日々の練習も更に面白くなり、全てが良い方向に向いていた事を感じます。私は21才の若さで高校時代から付き合っていた自転車部のマネージャーと結婚をしたのです!彼女の両親に結婚の承諾を貰いに着慣れないダブルのスーツを着て、挨拶に行った事を28年経った今でも鮮明に覚えています。「自分は娘さんが励みでここまで頑張れて来ました。一生大切にしますので結婚をさせて下さい」。緊張でカミカミでしたが何とか言い切りました。それは何でか?というと、彼女のお父さんは真面目なサラリーマンですが、趣味としてたまに競輪を楽しんでいたようです。その当時、競輪というと「賭博・ギャンブル・社会悪」などという悪いイメージがついて回り「競輪選手」というと高収入だが、酒に女に夜は街で遊び回っているイメージだったようです。しかし、高校時代から私の頑張りを見ていてくれて、二つ返事で快く承諾してくれました。私の競輪人生は正にここが原点なのです!
 早いうちに結婚した私は、毎日、女房に車で山道を誘導してもらい、新撰組の皆さんと街道練習やバンクに行き、練習環境は抜群でした。まずはアパートで新婚生活を送る事になりました。家賃は4万円台。お酒が飲めない私は、先輩に誘われない限り、夜のネオン街をパトロールする事はありませんでした。なので貯金は増えるばかり。私の物欲は強くなるばかりでした。欲しい物はたくさんありました。金無垢のローレックスにK18喜平のぶっといネックレスに車など、言い出したらキリがありません。ですが欲しい物はとりあえず片っ端から買いました。クルマは最初は親が乗っていた日産ローレル・メダリストに乗っていましたが、この頃から私の車遍歴に火が付いてしまったのです。女房は「貴方が頑張って稼いでいるのだから好きにして下さい」のスタンスでした。お言葉に甘えて最初に購入した記念すべき第1号車は(日産シーマ)でした! 力ラーはアイボリーホワイトを新車で購入。価格は500万オーバー。当然ノーマルでは足りずにホイールをBBSのRS色はゴールドに履き替え、シャコタンにしてレースに参加していました。思い出に残っているのは前検日、レースに向かう高速道路で、あまりに車高が低すぎてパトカーに止められた事がありました。「競輪選手です!」と何度言っても信じて貰えず、高速道路でトランクを開けてピストレーサーを見せた事がありました(笑)。そんな車好きな私は、開催中は時間が許す限りいつも駐車場にいた記憶があります。高収入な職業の上位にランクされた競輪選手の駐車場は、いつも外車ショーのような雰囲気が漂っていました。

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