不撓不屈・ボスの自転車人生

不撓不屈・ボスの自転車人生

後閑 信一 後閑 信一 ごかん しんいち 元競輪選手  平成2年4月に65期生としてデビュー。落車による大ケガや数々の困難を不撓不屈の精神で克服。第46回競輪祭、第15回寛仁親王牌、第56回オールスターとG1で3V。面倒見いい親分肌と風貌から〝ボス″と称された。平成30年1月引退。通算成績は2158戦551勝、2着311回、3着255回。

第91回 マーク技術は実戦でしか身に付かない  2020年3月9日

 特別競輪G1の決勝戦に同期の3人で乗るという事は、今思えば本当に凄い期だったのだなぁと改めて光栄に思いますが、当時は無我夢中でしたからそんな実感もなく、それが当たり前の事だとも思えた環境に今でも幸せを感じています。
 レースはスタートを吉岡稔真選手がとり、中団には関東ライン神山雄一郎選手と私。そして単騎の香川県・児玉広志選手。後方から4車の長い中部ラインは馬渕紀明選手―海田和裕選手―濱口高彰選手―山口幸二選手です。打鐘から中部ラインが主導権を奪いに上がってきます。中団の神山雄一郎選手が前の吉岡稔真選手を押さえて、中部ラインを行かせて上手く中団を取り切ります。外側並走から一度下がった吉岡稔真選手は最終BS8番手となり、捲り追い込む展開になりました。馬渕紀明選手の先行に乗る海田和裕選手と5番手から鋭く捲り追い込む神山雄一郎選手!後ろから見ていたら神山雄一郎選手の優勝か?と私も思うくらいの接戦だったと思います。結果、優勝したのは我が同期海田和裕選手!ダービーに続いて2度目のG1タイトルを手にしました。私の目標にした地元・宇都宮の神山雄一郎選手は微差の2着でゴール。しかし、海田和裕選手を交わしたと思いガッツポーズ!ヘルメットも場内のお客様に投げてしまい、恥ずかしそうに頭を抱えていたのが印象的でした。
 私が前回書いたマーク屋として勉強になった瞬間、現役を28年経った今でも思う事は、やはり練習では得られない緊張感の中での反応と予備動作!車間距離やレース自体の緩急への対応とコース取りなどは、実戦のレースでしか身に付かないという事です。私は神山雄一郎選手をマークしましたが、自力からマーク屋に戦法をガラリと変えてその時に足りない!と感じた事は【追走技術】でした。自力の時は前の選手との車間距離は自分の間合いで構わないが、人の後ろにピタリとマークする技術は、マーク屋として前の選手から離れずに追走し、【車券の対象】にならないとその緊張感での難しさは身に付かないと思います。馬渕紀明選手―海田和裕選手の2段駆けを内側で神山雄一郎選手が最終HSで吉岡稔真選手と並走となり、神山雄一郎選手が取り切る形となりました。その時、私は神山雄一郎選手の並走を見過ぎてしまい踏み遅れてしまいました。必死に追走しようと踏みまくりました、、。いい感じで私はスピードに乗り追い付いたと思いきや、途端に最終BSでは神山雄一郎選手がひと息付いて回しに入りました(選手用語でニュートラル)私は追突してしまうので、前に回ってしまうペダルを急激に後ろ向きに踏んで減速(選手用語でバックを踏む)をしました。すると神山雄一郎選手が最終2センターから踏み出したのです!ゴムの様にレースの流れが伸びては縮む!マーク選手はこの踏み出しに遅れてしまうと、その伸びては縮む流れに乗れずに置いて行かれる事になるのです!私は最終2センターから後方の吉岡稔真選手の仕掛けにもただ見過ごすだけで、さらにマークしていた小橋正義選手にも前を遮られて最終4コーナーを後方で回る事になってしまったのです、、。情けない、、。恥ずかしくも勉強になる一戦でした!
 それ以来、踏み出し(ダッシュ力)の強化にプラスして予測で【先踏みする技術】や筋力でバックを踏む(減速)のではなく、かかとを落としながら上体を逃したり、体を起こして減速するなどの技術を編み出したものです。その地味な動作の1つ1つの積み重ねが、この先のG1タイトルへと繋がって行ったのです!タイトルに近い男と言われ始めたが、まだまだ甘さのある26才の夏でした。

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