不撓不屈・ボスの自転車人生

不撓不屈・ボスの自転車人生

後閑 信一 後閑 信一 ごかん しんいち 元競輪選手  平成2年4月に65期生としてデビュー。落車による大ケガや数々の困難を不撓不屈の精神で克服。第46回競輪祭、第15回寛仁親王牌、第56回オールスターとG1で3V。面倒見いい親分肌と風貌から〝ボス″と称された。平成30年1月引退。通算成績は2158戦551勝、2着311回、3着255回。

第98回 集中力を欠くと事故に繋がる  2020年4月27日

 努力次第で高収入の競輪選手!若くして大金を手にすると色々な話や大人が寄ってきました。別荘や投資話やゴルフの会員権等々、、。あと多かったのは「お金を貸して欲しい」という話です。今、書いていて思いますが、お金を「貸して」というより「欲しい」と言う方に目が行きがちなのは私だけでしょうか?なのでお金を貸す時は「返ってこないもの」だと思って貸せ!と良く言われたものです。競輪選手はプロ野球選手の様な推定何億何千万円ではなく、賞金の全てが百円単位まで公開されてしまう仕事なのでごまかしが利きません。その情報は世間にも公表されています。自分で汗をかいて血のにじむ思いをして稼いだお金です。そう簡単には貸せませんが、借りに来る方はそんなことは思ってはいないのです。チョロッと利子も付かずに返済も融通が利くと簡単に思っているのでしょう。そんな大人が多かったです。こっちは多少なりともお世話になったから、、との思いもあるので考えましたが貸したら最後、今度は貸した私の方が何故か?「すみません、、。今月の返済はいかがでしょうか、、」とお伺いの電話をして立場が逆になっているのです。少しキレ気味に言うと「しょうがないな~」とばかりに少し返されるのです。勿論、全額ではありません!返すのが当たり前なのに何故か私が頭を下げる!意味分からん!自分の親くらいの年の人でも平気で借りに来ました。今思うと、それ「ストレス」でしたね(笑)。
 色々あった中で一つ、二つ紹介しますと、ある方が当時まだ携帯電話の普及もあまりない頃に電話がありました。私が共同通信社杯を優勝して新聞にデカデカと賞金ボードを掲げている私を見たのかもしれないというタイミングでした。その後も記念競輪も連覇するなど確かに稼いでいました。すると「後閑!頑張っているね~」の前置きで「ちょっと金貸してくれる~すぐ返すから~」、、、。その方とは何年も連絡を取っていませんでした。私は一瞬、言葉が詰まりましたが、ふと出た言葉が「今どこから電話しているのですか?」と聞くと「車の中だよ」と言っていました。私は以前に何度もお金の事で嫌な思いをしてきましたから貸すつもりもありませんでした。なので私は冷静に「因みに何の車でしったっけ?」と聞くと「ベンツのEクラスだよ」と言ってきたのです!ベンツに乗って携帯電話も珍しいご時世に高速道路から「ちょっと金貸して」は都合が良すぎやしないかい?と思い、その方には丁重に「車と携帯電話売ってから来い!」とお断りした事がありました丁重に(笑)。
 きっと私たち競輪選手がどれだけ毎日厳しい練習を重ねてレースに挑み、自分の車券を購入してくれたファンの皆様の期待に応えようという責任感で、落車の恐怖を乗り越えて、不安を乗り越えて自分を超えた先に手にする賞金の重みを解ってくれていないのだな~と悲しい思いもたくさんしました。そんな余計なストレスも抱えながら走っていた事もあります。面倒くさかったし、マイナスしかありませんでした。
 かと思ったら、、ある時期からやたらと私の自宅に物を持ってくるな~と思ったら最後には「金貸してくれ!」です。私は確かに当時、ミナミの帝王の様な風貌と服装をしていましたので、頼めばお金を貸してくれると思ったのでしょうか?ならば仕方がないか~、、(笑)と思い今ではこうして記事に書いていますが、当時は本当にペースを崩されたく無かったです。
 そんなある日の練習中に事故は起こりました。平塚オールスター競輪まで2週間くらい前だったと思います。前橋旧バンクでの練習中に数人で1周モガキをしました。私は4、5番手から捲った瞬間、、前で走っていた(後にオールスター競輪決勝戦まで登り詰めた)当時の弟弟子に当たる斎藤秀昭選手と捲り合いになり接触!私は落車をしてしまいました。BSで落車をしたのに止まったのは3コーナー、、。かなり長い時間バンクに叩き付けられ引きずられ転がっていた記憶があります。真夏でしたからレーサーパンツに半袖のシャツ1枚!全身に擦過傷を負い、広範囲であちこちに皮膚の下から白い肉が見え、呼吸も苦しく、しばらく動けませんでした!しかもバンクの路面温度はめちゃくちゃ熱いし、、!仲間に声をかけられても、うめき声しか出ない状況でした。それもそのはずです。病院でレントゲンを撮ると左肋骨3本と左鎖骨がバッキリと折れていたのです(痛)。即入院です。鎖骨は数日後にすぐに針金を入れる手術、オールスター競輪まで10日を切っています。平塚オールスター競輪では「ドリームレース」に選ばれていましたから何とか出場したい!!という思いしかありませんでした。
 そこで思ったのは、まずはしっかりと安静にして、練習無しでオールスターに望むことでした。それは日頃から練習をやりこんでいたので、疲れを取る意味でも気持ちに踏ん切りが付くのとその分、治癒力に回そうと思い、動かずベットの中で骨を感じながら過ごしていました。すると1週間くらい経つと微かに体が落ち着いて来ているのを感じ、鎖骨はリハビリを始めました。壁の横に立ち指を少しずつ上に這わせて行くのです。先生の手術が上手かったお陰で、痛みはそんなになく、私の中では順調でした。あとは肋骨の痛みが中々治まらないので、そこだけ我慢出来れば走れる!と、残り少ない日々を過ごしました。そこで教訓としては、、余計な事をして集中力を欠くと事故に繋がるということを身をもって体験しました。

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