疾風怒濤の競輪回顧録

疾風怒濤の競輪回顧録

山田 裕仁 山田 裕仁 やまだ ゆうじ 競輪評論家  昭和63年5月に61期生としてデビュー。平成9年KEIRINグランプリを皮切りに、GP、GⅠを優勝すること9回と、同期の神山雄一郎、吉岡稔真とともに一時代を築いた。14年3月のダービーで現役引退を表明。同年5月の引退後はスポーツニッポン紙で競輪評論家として活動している。

第13回 機は熟した  2016年3月11日

 セッティング見直しをするために早速フレームを作り直し、サドルも高い位置で乗ることにした。もちろんすぐにしっくりくることはなかったのですが、そのセッティングに慣れ始めた頃、だんだん結果に繋がるようになってきた。
 ようやく自分の感覚にハマってきた時、特別競輪の優勝もない男がついにグランプリ優勝を成し遂げてしまったのだ。なんだか私らしい優勝の順序だったような気もしますが、ビッグを優勝することでついに『無冠』という言葉が外されることになる。
 ビッグを優勝すると自覚も持ち練習にも身が入り安定して力を発揮できるようになっていきました。
 グランプリ優勝の翌年には全日本選抜も優勝出来て一発レースの偶然の優勝じゃなく、これで確実に無冠返上することが出来たなと思いました。
 その優勝後は少し間があきましたが、2002年には小倉競輪祭、ダービーと優勝することが出来、本当の意味で帝王と呼ばれるようになっていきました。
 年始での特別優勝は、自分をレベルアップさせるにはとてもありがたいことで、年末のグランプリに向けてかなり追い込んだ練習が出来る一年になった。疲れすぎて、普段の開催で結果を出せない日が続いたりしてファンの皆様に迷惑かけたこともあり本当に辛かったし申し訳ないことをしたと思ってましたが、あの追い込んで練習出来た時期が無ければグランプリ優勝、そして二年連続優勝なんて出来る選手になっていなかったと思います。自分への自信、タイトルホルダーとしての自覚による練習への取り組む姿勢、全てが上手く噛み合って強くなっていったような気がします。
 翌年も競輪祭優勝、ダービー優勝を達成してグランプリへの出場権獲得。そしてまた年末へ向けての追い込んだ練習が可能になった。この年のグランプリは、長い選手生活の中でもそうなかった、負ける気がしない開催でした。今まで誰も達成出来てないグランプリ連覇というジンクスも、負けるわけがないと思って参加してたのでまったく気になっていなかったなぁ。
 自分が目標としてやってきた『勝てた選手じゃなく勝てる選手になる』これに近づけたと思える時期でもあった。
 とまぁ、素晴らしい選手生活を経験することが出来たわけですが、いつまでもいいことが続くわけがないのが人生なんですよね。
 翌年に初めての鎖骨骨折を経験することになりました。しかも地元大垣の特別競輪で(涙)

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