疾風怒濤の競輪回顧録

疾風怒濤の競輪回顧録

山田 裕仁 山田 裕仁 やまだ ゆうじ 競輪評論家  昭和63年5月に61期生としてデビュー。平成9年KEIRINグランプリを皮切りに、GP、GⅠを優勝すること9回と、同期の神山雄一郎、吉岡稔真とともに一時代を築いた。14年3月のダービーで現役引退を表明。同年5月の引退後はスポーツニッポン紙で競輪評論家として活動している。

第14回 試練も当然あります  2016年3月18日

 地元の特別競輪決勝で落車した私は、骨折の経験は無かったのですがすぐに折れてるとわかりました。あ~、長期欠場だ(涙)ん、寝てる場合じゃない、こりゃ欠場分稼がなきゃ(苦笑)そんなことが頭をよぎり即再乗してゴールを目指した。先に乗ってゴールを目指してる選手も何人かいましたが全て抜いてゴールしちゃいました。心の中で、「ゴメン、お見舞いだと思って許して」と言っていたのはもちろんのことでした(笑)しかしまぁ、骨折してまで再乗出来るなんてどれだけ痛みに強かったんだろう。今なら考えられないな。ていうか、そんなにお金に困ってたのか(笑)
 深谷君の骨折による長期不調も有名なことでしたが、体のバランスが崩れるのかその後なかなか調子を戻すことは出来ませんでした。骨折の痛みを経験したことにより精神的に負けてしまって、もういいかなぁなんて思ってしまう自分がいるし、長期休養してると練習再開した時の呼吸の苦しさ、筋肉痛の辛さにも耐えなきゃいけないしで、本調子に戻すって本当に大変なことなんですよ。長欠後の選手をよく目にすることがあると思いますが、大怪我した選手は長い目で見てやってください。そして何よりも皆さんの応援がどれだけの力になることか・・・
 やらなきゃいけないと思えるようになることが一番ですから。
 私が次のビッグを勝てる所まで戻るには三年かかってましたからね。その間、プレートを入れる手術を受けて早急に練習が出来るようにしたり、骨がくっつけばプレートを外す手術を受けたりで、何回麻酔によりお花畑が見れたことか(笑)あの麻酔ってホント凄いですよ。
 選手何十年もやってると何度も落車を経験してきたけど、自分は絶対骨折なんかしない丈夫な骨だと思ってたんですがね。やはり骨は骨でした(笑)
 目標の無い選手は成長も無い。これはよく後輩に言ってきた言葉ですが、私自身どこに目標があるのかわからない時期でしたが、このままケガを理由に終わっていくことが自分にとってとっても嫌だと思えることがあり、それは奥様が一言「もう辞めたら」その一言で天の邪鬼の私がやらないわけがない。「復活してから辞めよう」さすが奥様、私の性格よく知ってるわ(笑)やれと言えばやらないだろうし、やるなと言えばやると思ったらしいです。奥様ありがとうございました!おかげでふるさとダービー優勝へとつながっていくわけですからね。
 選手ってやはりケガがなければ良い商売だと思いますよね。

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