疾風怒濤の競輪回顧録

疾風怒濤の競輪回顧録

山田 裕仁 山田 裕仁 やまだ ゆうじ 競輪評論家  昭和63年5月に61期生としてデビュー。平成9年KEIRINグランプリを皮切りに、GP、GⅠを優勝すること9回と、同期の神山雄一郎、吉岡稔真とともに一時代を築いた。14年3月のダービーで現役引退を表明。同年5月の引退後はスポーツニッポン紙で競輪評論家として活動している。

第18回 おそるべし業界①  2016年4月15日

 “マクリの山田”こんなイメージがとても強いと思いますが、本当にA級時代はジャン発進もするような先行で戦いながらS級に特進した選手だったんですよ。
 そんな先行選手もある日をきっかけに戦法チェンジしていったんです。それは、レース前にはある程度の作戦会議をするのは今も昔もそんなに変わってません。その作戦会議で私は先輩に「先行しますから宜しくお願いします」と言いました。そしたらその先輩から返ってきた返事は「競らせるなよ」でした。当然私は「わかりました。飛びつけない所をカマシていきますわ」とこたえたら、「千切るなよ」(怒)って、俺どうやって先行したらいいんやー?
 いざレースが始まると、スタートと同時に私の後ろで競りが始まってました。これって私の何が悪い?私は逃げきって勝つことが出来ましたが、レース後に怒られた、怒られた。控え室に戻り何分正座してたことか・・・
 誰も助けてくれる先輩もいなかった。昔は、キビシイ先輩が多く、今の浅井みたいにほぼ先行無しみたいな選手は考えられません。私に言わせればそれが師匠からの教えなのか??と思ったぐらいです。浅井の発言で、ヤマコー達の教えが厳しかった等と書いてある文章をみたことありますが、私みたいに意味のわからない指導されてるとは思わなかったです。恨むなら自分の先輩達を恨んだほうが良いですよ(苦笑)
 私は、そんなキビシイ指導を受け(自分の中ではまったく納得してなかったけど)これは先行なんてしてる場合じゃないと思い始めたんです。前取って引いてれば、マクリの後ろで競っていてもしょうがないと切り替えていってしまうから「競らせるな」と怒られることも無くなる。もちろん全ての人が切り替えるわけじゃないですが、だいたいの人がマクリ選手の後ろで競ってもしょうがないと前団に切り替えていくと思います。
 自分にそう言い聞かせてからはかなりマクリの練習もしました。そしてマクリが決まりだすと今度は、「マクリばっかりか、たまには先行もしろ」「自分だけ届くマクリか」と怒られるようになったんです。いったい何したら良いんですかね。今の選手達は、先行しなきゃ怒られることはあっても、競りになったからってそんなに怒られることは無いと思います。ていうより競り自体もそんなに見なくなったのは事実ですがね。しかも、勝てるように走ってくれれば良いですよと言わるほうが多いと思います。好きに出来て良いですよ。そうは言ってもそんなキビシさがあったから私はマクリで勝てる選手になれたんだと思います。感謝ですよね(笑)

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