疾風怒濤の競輪回顧録

疾風怒濤の競輪回顧録

山田 裕仁 山田 裕仁 やまだ ゆうじ 競輪評論家  昭和63年5月に61期生としてデビュー。平成9年KEIRINグランプリを皮切りに、GP、GⅠを優勝すること9回と、同期の神山雄一郎、吉岡稔真とともに一時代を築いた。14年3月のダービーで現役引退を表明。同年5月の引退後はスポーツニッポン紙で競輪評論家として活動している。

第21回 見えない恐ろしさ  2016年5月5日

 私は、たまに風邪をひく程度の健康体で、丈夫に生んでくれた親に感謝です。しかし、そんな健康体のはずが、幾度もの落車により身体がむしばまれたのか、極度の緊張の繰り返しでおかしくなったのか、その理由すらもわからなく病気になった。
 なったと言うよりなっていったと言う方が正しいのかも。それは、対人恐怖症、社会適応障害ですね。人の集まる所に行くと暑くもないのに汗が止まらないほど出てきたり、気分が悪くなってしまうんです。最初は、あがり症なのかなぁぐらいに思ってたんですが、よく考えれば小学校の時には全校集会で漫才をやってみたり、中学の時には体育委員長で全校生徒の前でラジオ体操を逆動作でやっていたり、高校の時にも部長を務めたりで人前は全然平気だった。
 ん~、どこでどうなった(涙)電車に乗るのも辛くなり心療内科にお世話になるはめに。しかし、病院で処方される薬は、飲むと選手には致命傷で力が入らなくなってしまうんです。緊張を緩めるのと同時に筋肉まで緩めてしまうので、練習しても意味が無くなってしまうんです。さすがにこの時は人生も終わったような気になりましたね。天皇家、雅子様と一緒にしては失礼かもしれませんが、他人に見えない病気は理解してもらえないから本当に辛いんです。しかも鬱病のように心の病気は悪循環になっていく恐ろしさがあるんです。これはかかった人にしかわからないツラさなんです。
 お客様の前に出てレースをするのはなんとも無かったのが救いで選手を続けることが出来ていました。しかし、選手続けていれば電車での移動もあったり、インタビューやコメント取り、表彰式等で辛くなる事が多かったんです。その時は上手に薬と付き合わなければならなかった。だからグランプリの前の前夜祭やダービーの前の表彰式は私には地獄でした。大事なレース前に薬を飲んで調子を落とすわけにはいかなかったからです。
 相手に伝わらないツラさは本当に辛い!
 こんな例もあります。落車して帰宅して、擦過傷がひどいと痛そうに見えるので家族は気を使ってくれます。しかし、打撲がひどいケガだと目に見えないので、翌日ダラダラ寝てると、奥さんにイライラされます。こちらも落車して痛いからイライラしててつい怒ってしまいました。
 「おまえ、60キロで走った車から突き落としてやるからな。そしたら俺の痛みがわかるだろ。」
 見えないことを理解してもらうとは本当難しいことですよね。

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