疾風怒濤の競輪回顧録

疾風怒濤の競輪回顧録

山田 裕仁 山田 裕仁 やまだ ゆうじ 競輪評論家  昭和63年5月に61期生としてデビュー。平成9年KEIRINグランプリを皮切りに、GP、GⅠを優勝すること9回と、同期の神山雄一郎、吉岡稔真とともに一時代を築いた。14年3月のダービーで現役引退を表明。同年5月の引退後はスポーツニッポン紙で競輪評論家として活動している。

第26回 感謝  2016年6月9日

 誰にも見せない涙があった。
悔しくて眠れなかった夜があった。
 もうダメだと全てが嫌になって逃げ出したくなる時もあった。
 しかし、それもたくさんの人の支えの中で頑張ってこれた。

 競輪を辞めたらもっと楽になるのかと思ってた。辛く苦しい練習もしなくていいし、落車してケガすることもない。しかし、競輪選手になるために生きてきたから競輪しか知らない『競輪バカ』から競輪取ったらただのバカ。心にポッカリ穴が開いて無気力状態になります。私は、子供達に常に言い聞かせてきた言葉があります。『目標の無い人は成長も無い』
 目標が有るから目標に向かって努力する。だから成長していくんだと…そう、正に自分のことではないか(苦笑)選手辞めたら目標を失った。外国では、引退のことをアジャストと表現するらしい。精算、次の生活の準備とも理解するらしいが、私はただゆっくりしたいというだけで次のことは何も考えてなかったから準備も出来ないですね。だから今の仕事をくださってる人達に感謝です。そう、清原も、俺が山幸の話しを聞いたように桑田の話しをしっかり聞いていれば違う人生になってたかも知れないのに…

 この連載が始まり早半年が経とうとしてます。最初にこの連載の話しを頂いた時には、『火花』に火花を散らして直木賞作家を目指そうと思ってたんですが(笑い)、人生の半分以上を競輪界でお世話になってて、それを半年でまとめるなんて無理があったかも知れません。しかも、文章能力の無い私の文章では分かり難かったと思いますが、最後までお付き合いくださった読者の皆様ありがとうございました。今後もわかりやすく競輪を説明出来るように勉強していきますのでご指導のほど宜しくお願いします。そしてこれからも競輪を宜しくお願い申し上げます。

 この企画をくださった関係者の皆様、この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。

 最後になりますが、売り上げ低迷に悩んでる業界ですが、選手はもちろんのこと関係する全ての人が『ファンあっての競輪』。この言葉を忘れず行動してれば必ずお客様はついてくると思います。

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