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2018年7月19日

鈴木誠の引退記者会見

 競輪史に残る大スターである鈴木誠(千葉・55期)が7月12日に、約33年に渡る選手生活から別れを告げた。同月14日~16日に「第14回サマーナイトフェスティバル(GⅡ)」が行われた地元の松戸競輪場において、引退会見が前検日の13日に、また、第2日目が開催された15日にはセレモニーが実施された。会見で鈴木は、「昭和60年にデビューいたしまして、33年間現役を続けて参りましたが、今月7月に引退いたしました。思い返せばまだ右も左もわからない自分を師匠であります吉井秀仁さんに育てていただき、念願だった競輪祭新人王、高松宮杯、全日本選抜、KEIRINグランプリ、そして、ここ松戸で行われました日本選手権を優勝することが出来ました。日本一の景色も見ることが出来ましたし、競輪選手としては本当に素晴らしい競輪人生でした。私は競輪が大好きで、常日頃からクビになるまで現役を続ける、70歳近くまで現役を続けると申しておりましたが、半年くらい前から怪我による股関節の痛みで練習する時も、自転車に乗る時も痛み止めを飲まなくてはいられない状態が続いております。このような状態を続けていては大好きな競輪、自転車が大嫌いになってしまうと思い、それにお客様の大事な車券に貢献出来ないと思って引退を決意いたしました。今年の目標だった、たくさん走って来年の松戸ダービーに出るという夢は叶いませんでしたが、身体が壊れるまで、自転車に乗れなくなるまで自分なりに頑張って参りましたので、自転車人生、競輪人生に悔いはないと実感しております。33年間の競輪人生でしたが、本当にありがとうございました」と冒頭で挨拶。その後、記者の質問に答え、思い出に残るレースとして、「大きいレースでいったら、全日本選抜、そして、日本選手権(の優勝)が凄く印象に残っています。日本選手権は本当に獲りたかったタイトル。勝ち上がりが厳しかったですし、獲りたいという常日頃からの夢を地元でかなえられた」と挙げ、常に第一線で戦ってきたことで「若い頃は滝澤(正光)さんだったり、吉井さんだったりと走ってきて、途中から吉岡(稔真)君だったり、神山(雄一郎)君だったり。後半は散々憧れて武田(豊樹)君を見たり、平原(康多)君を見たり。最近では三谷(竜生)君を凄いなと思って見たり。各時代のそれぞれ強い人たちをずっと肌で感じてきた」ことと合わせ「幸せな競輪人生」だったとしみじみ振り返っていた。今後については、「(引退は)6月の終わりくらいに決めまして、家族にもそのころに報告しました。急に辞めて予定はまだ全然立ってないんですけども。出来る事であれば、33年間培ってきた経験。例えば3・57の時代、イエローラインがない時代、大ギヤの時代、ギヤ規制の時代、まして自分は先行も、まくりも、追い込みもやってきましたし、歴代の強い人たちとも当たってきましたので。そういう経験を生かして、少しでも競輪界に恩返しが出来ればと思っています」と競輪界に関わっていくことにも意欲をにじませていた。なお、33年3カ月の現役生活の間に鈴木が獲得した特別タイトルは、87年の競輪祭新人王(小倉)を皮切りに、90年高松宮記念杯競輪(大津)、91年読売新聞社杯全日本選抜(久留米)、同年KEIRINグランプリ(立川)、92年ふるさとダービー(函館)、同年共同通信社杯(大垣)、99年ふるさとダービー(伊東温泉)、05年日本選手権競輪(松戸)。獲得賞金額累計額17億853万1755円は歴代6位、GⅢ優勝回数49回は歴代7位、S級連続在籍記録32年9カ月は歴代2位の記録となる。通算成績は3058戦で、665勝、2着483回、3回394回。

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