14歳で競輪選手を夢見て、19歳でデビュー。24歳でG1の初舞台を踏んだ村上義弘が、28歳でつかんだタイトルだった。
その年の3月の日本選手権でG1初優出を果たし、7月の寬仁親王牌では先行で松本整(京都・45期。引退)の優勝に大きく貢献した。タイトルの機運が高まるなかで、9月のオールスターでは落車に見舞われた。「注目されていたのに、あまりにも不甲斐ない成績で苦しかった」と、自身もオールスターを振り返った。そして02年のG1も残すところ、この全日本選抜だけだった。別線だった市田佳寿浩(福井・76期、引退)の逃げを村上がまくりでとらえて初戴冠。「ほんまに夢やったら覚めないで欲しいですね」。涙の優勝でグランプリのキップを奪取して、心の師、松本ともに年末の立川での大舞台に立つことがかなった。
「自分が理想とする競輪選手は、速くて、うまくて、強くて。自分に満足しない。常に向上心をもって、今日の自分より明日の自分。その気持ちの分だけは、しっかりと持ててきたかと思いますけど。自分が理想とするところには届かなかったのかなと」
28年間の現役生活を振り返った時の村上の言葉だ。「先行日本一は僕の中ではまだまだ」と、V当時にも言っているように、この速くて、うまくて、強いを常に追い求めた。そしていまの自分に満足しない…。それは競輪人生で生涯、村上が貫いたスタイルだったように思う。