検車場レポート
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平原 康多 埼玉 87期 |
【平原康多(1着)】
「ラインが2分戦でほぼ、関東対北日本の2分戦。自分は援護して迎え入れられたけど、新田が強かった。前を取った方が突っ張るような流れになると思った。拓矢が踏んだ時に、新田が慌てて踏んでくれたので、拓矢も気を使ってくれた。(新田の後ろになって)自分が思い切り行くような感じにならないと、
諸橋さんにもチャンスがないと思って思いっきり行った。ワンツーだったら、何の心残りもなく喜びだけの開催になった。ふるえるぐらいの声援をもらって力になった。産まれたのは岩室ではないけど、中学2年まで住んでて、幼少期はほぼでした。(父は)新潟で親戚も多い。親戚もだけど、ひとつ親孝行できたかな。(弥彦でのG1優勝は)別格かも。まだレース終わりでボーっとしてるけど、今年は落車で立て直せなかったりしたので、ここに来て力以上のものが出たのかな。(4年ぶりの優勝)自分ではわからないですけどG1を勝っていないのはわかっていた。ここに戻ってこれて幸せ。(今年は)よくなる前に落車をしてまったくよくならない半年間だった。いろいろな人にアドバイスをもらってよくなってきた。(宿口がG1優勝して)関東で自分だけが背負っている感覚がなくなって肩の荷がおりたのかもしれない(GP一緒に走るのは)緊張もあるが、選手になった時からずっと一緒だったのですごい楽しみなレースになる。もっと体の状態をよくしていい走りができるように頑張りたい。4年ぶりですかね?。弥彦でG1を優勝できて拓矢と諸橋さんに感謝したいと思います。
【大槻寛徳(2着)】
「着は良いが、レースは良くない。(菅田が)離れることも、追い上げないのも良くなかった。自分がいくなりとも思った。4車でラインがしっかりしていたのにそれができないのが反省点。壱道は、これからG1を獲る獲らないだから、あえて厳しいこと言うけど、レース内容がひどかった。仕事して着がどうこうではなかったので、そこで負けてしまった」
【菅田壱道(3着)】
「全部、俺のせい。脚力のなさを痛感しました。(新山)響平、新田先輩のナショナルチームで洗練されたダッシュに付け切れなかった。そこにいれば、新田先輩の優勝だった。反応はしていたと思うが、何も言い訳はできない。脚力不足です。悔しさというか申し訳ない。新田先輩のグランドスラムへの思いで北はひとつだった。これをかてに足りないところが見えた。課題に取り組んでいつか迷惑をかけないよう」