郡司浩平がホームでG1制覇
「ホームバンクでGIを走れるのは競輪人生で最初で最後かもしれない」
1965年の5月以来、およそ56年ぶりに“競輪のメッカ”川崎にG1が戻ってきた。30歳の郡司浩平にとっては、生まれる遥か前のこと。それだけに巡ってきた今回の大舞台でのチャンスを逃すわけにはいかなかった。
「準決よりも落ち着いてリラックスして臨めました。(無観客で)さみしい気持ちもあったけど、お客さんがいるつもりで、その声援に応えるっていう気持ちでした」
新型コロナウイルス感染症の影響により、シリーズを通して無観客になったが、ファンの声援は郡司の胸には届いていた。
昨年11月競輪祭で念願の初タイトルを同県の後輩、松井宏佑とのタッグでつかんだ。今シリーズ、松井は二次予選で敗退したが、今年静岡に移籍した深谷知広という新たな仲間と初日特選、2日目の「スタールビー賞」に次いでの連係で、三度、前を託した。そしてその深谷がレースを支配。番手の 郡司に絶好の展開を演出した。
「深谷さんが早め、早めの仕掛けをしてくれたんで、僕は付いていくだけだった」
平原康多に飛び付かせる隙を与えず、赤板1センターで出た深谷に郡司、和田健太郎の南関勢。単騎の守澤太志までが続いた。5番手で態勢を整えた平原が清水裕友に合わせてまくると、郡司は最終2コーナーでちゅうちょせずに番手から出た。郡司の加速力も悪くなかったが、それでも平原が前団に勢いよく迫る。郡司が最終2センターで外に振り、平原は車体故障のアクシデント。先頭でゴールを駆け抜けた郡司だったが、手放しで喜ぶわけにはいかなかった。
「(まくりは)平原さんではなくて、清水君が来てるのかと。ちょっと影が見えたので、それで踏み出した。でも、平原さんがあっという間に僕の横まで来ていた。それで僕もちょっと焦って踏んじゃった感じですね。(ゴールをして)平原さんの車体故障もあったので、僕の中ではどうかなって半信半疑な部分があった。(優勝の)確信はできなかったです」
審議対象にはなったものの、セーフ判定で郡司の地元Vが確定した。
「まだうれしさという気持ちは、込み上げてきていないんですけど(笑)。まあ、ホッとした気持ちの方が大きいです。連日の深谷さんのレースを見てもらえばわかると思うんですけど、後ろに付いていてすごい頼もしいし、これからどんどんどんどん一緒に盛り上げていきたいなという思いが、より一層強くなりました」
ラインを組んで深谷の強さを肌で感じたシリーズでもあった。年末の「KEIRINグランプリ2021(GP)」の舞台は、今度は深谷にとって地元の静岡。「KEIRINグランプリ2021(GP)」の出場権を一番乗りで獲得した郡司は、深谷との今後の連係を見据えてこう言う。
「今回は僕の地元というのもあったので、甘えさせてもらう部分が大きかった。でも、今回の深谷さんのデキを見ると、僕的にはまだ前を回る資格はないんじゃないかというのも感じざるを得なかったですね。もっともっと自分自身も気を引き締めて、一走、一走車券に貢献できるように頑張っていきたい」
清水、松浦悠士のS班中国コンビを撃破。今シリーズは不在だった脇本雄太、新田祐大にも対応できる南関勢の“新コンビ”。その第一歩が郡司の地元Vになった。
和田健太郎が、郡司に続いて南関ワンツーが決まった。
「赤板からジャンも大事でしたけど、自分の中でスタートでミスをして前が取れなかった。それでもあれだけ行ってくれて。本当に前の2人のおかげですね。あとは自分がしゃくられないように気を付けて集中していました。(落車後のシリーズでは)やったほうだと思います」
周回中から南関ライン後位にいた守澤太志は、脚を溜めてじっと我慢。直線でコースが開けると鋭く伸びて3着争いを制した。
「ジャンでは理想的な展開になったんですけどね。内はビッシリ締まっていてコースがなかった。南関勢に隙はまったくなかった。決勝の3着はうれしいですけど、なにもできなかった。やっぱりラインがないと。次こそ(北日本の)みんなと走れるように」
5番手まくりを郡司に合わされた平原康多は、車体故障でゴール後に落車に見舞われた。
「深谷か清水が思い切り行くと思ったんで、あとはスピードが合ったところでと。(深谷が)ものすごいスピードで最低、中団にはいた。あれで郡司を越えられるかと思ったんですけど…。あの2人(深谷、郡司)が並ぶとキツいですね」