ラインの力でつかんだ初タイトル
北日本の新星の誕生に、歓声がドームに大きく響き渡った。
「先輩に前を走ってもらって、自分は番手を守ってしっかり優勝しなければいけない」
4車で決勝に進んだ北日本勢。10月の仁親王牌でグランドスラムを達成したばかりの新田祐大に前を委ねる腹を決めた。その新山響平に、いつもの甘い表情はなかった。
「本来なら自分が前ですけど、本気で(G1の)優勝を狙いにいった時に新田さんの後ろの方が確率が高い。それで番手を回らせてもらうことになりました」
昨年の競輪祭ファイナルでは逃げて準V。先行でのタイトル獲得が見えた瞬間でもあった。15年のデビューから徹底先行を貫いて、スピードも磨いてきた。それだけに番手回りは、並々ならぬ思いでの決断だっただろう。それは先頭を務める新田にも伝わっていないはずはなかった。6番手から持ち前のダッシュを生かして主導権を奪取。だが、それで勝負のカタがつくほど、楽なメンバーではなかった。坂井洋が新田後位に飛び付いて、最終ホームでは番手が併走になった。
「(番手を)譲る気はありませんでした。結果的に(自分が)番手から出ていった。けど、新田さんがあのまま(ペースを)上げていけば、転んででも坂井君をつぶすくらいの気持ちでした」
新山の初タイトルのお膳立てをするように、守澤太志が平原康多を封じ込める。内の坂井を見る形から、新山は自力に転じる選択をした。
「(まくりを打ってからは)余裕があったので、ゴールまで踏める自信がありました。ただ、(後ろは)どうなっているか、わからなかった。(後続が迫る)車輪の音が聞こえるような気がして、ずっと踏みっぱなしでした」
離れ気味に新山を追った守澤が、最終バックで郡司浩平のまくりをブロック。止められはしなかったが郡司のスピードが鈍り、直線を迎えた時には新山との差が大きく開いていた。
「(ガッツポーズは)決めていました」
先頭でゴールを駆け抜けた新山は、1コーナーで右の拳を握り締めると、バックでは両手を上げてガッツポーズ。ファンの声援に応えた。
今年は、変化の年でもあった。10月にナショナルチームから退いて、競輪に専念。それは自らの退路を断つことでもあった。
「(ナショナルチームに所属していた時は)競技をやっている時は、競輪がダメなら競技、競技がダメなら競輪っていう甘い考もあった。競技をやめて、競輪でしか走るところがなくなった。より一層緊張感をもって走れていると思います」
これまで北日本の先頭で幾度となくチャンスメイクをしてきたからこそ、先輩の盛り立てがあった。タイトルホルダーの仲間入りを果たし、初めてのグランプリが待っている。
「(16年に初めてG1優出した競輪祭決勝では)新田さんに迷惑を掛けて、今回はお世話になった。今度こそ恩返しができる走りがしたい。グランプリのことはハッキリ言ってあまり考えていなかった。でも、G1を獲るっていうことはそういうことでもあった。しっかり練習して、北日本で優勝を出せるように頑張ります」
同地区の誰もが心から祝福できる魅力と、それだけのことを競走で魅せてきた。年末の大一番、初めてのグランプリだが、新田をはじめ3人の先輩がいる。今度は先頭で。新山に迷いはないだろう。
まくった郡司浩平は、仕掛けのタイミングが遅れて、スピードに乗り切った新山を追いかける。守澤のブロックでスピードも失速。新山を脅かすまでには至らなかった。
「赤板で(北日本勢が)来なかった時点で、一発カマシでスピードに乗せてくると思った。そうなれば坂井君も踏むと思った。あとは緩んだところでと。ちょっと(最終)ホームで見ちゃいましたね。成田さんの動きもそうですし、その前の守澤さんと平原さんのところも。そこで見ながら詰まっちゃったんで、ワンテンポ遅れましたね。あそこで仕掛けていれば、結果的に(最終)1コーナーで苦しくても、新山君の後ろにスポッとハマれたかなと」
同県の郡司に続いた小原太樹が3着。19年高松宮記念杯に次ぐ2度目のG1決勝でも表彰台にあがった。
「結構、守澤さんのブロックがキツくて、(郡司)浩平のスピードが止まっちゃった。自分も1回スピードを殺してからだった。そのあと浩平もタイミングがズレて伸びていく感じでしたね。最後は優勝はなくても、理想を言えば浩平を抜きたかったです」