スポンサード選手、野原雅也さんの訃報に接して
あの笑顔が忘れられない
とっつきにくい。最初はそんな印象だったような気がする。14年3月、103期の「ルーキーチャンピオンレース(若鷲賞)」を制した時から始まった弊社、プロスポーツとの関係。快くウチ(プロスポーツ)のロゴを胸につけて走ることを引き受けてくれた。あれからことあるごとに現場(競輪場)、またレースがない時は、電話で話をさせてもらった。現場では見せない人懐っこい話し声、最初の印象はとっくに消えていた。
その年の12月にはヤンググランプリに、翌15年からはG1にも出場する押しも押されもしない近畿の若手を代表するレーサーになっていた。毎年のスポンサー契約の更新。「スポンサーを切られないですか、僕でいいんですか。電話があるとヒヤヒヤするんですよ(笑)」。私の方から継続のお願いをしなければならない立場なのに、野原雅也さんはこう言っておどけてくれた。ウチがつくったロゴ入りTシャツも気に入ってくれて、洗濯しすぎて色落ちするまで着てくれた。本当にスポンサー冥利に尽きる選手だった。
とにかく競輪には一途だった。近畿への強い思い。そして自分の練習、理想とする走り、そんなことを丁寧に誤解のないように語ってくれた。ただ、それを記事にしようとすると「ちょっと待ってください」と、いつも止められた。言葉だけが先走るのを野原雅也さんは嫌った。“野原雅也がタイトルを獲るまでは取っておこう”、そんな気持ちで自分の胸に仕舞い込んだ。それは彼がタイトルを獲ると、自分が信じていたからでもあった。そのチャンスが来ないままになってしまったが、この先もずっと忘れずに、あの人懐っこい笑顔とともに自分の中に取っておく。
いままでスポンサード選手として、本当にありがとうございました。野原雅也さんのご冥福を心からお祈りいたします。
(プロスポーツ編集長)