不撓不屈・ボスの自転車人生

不撓不屈・ボスの自転車人生

後閑 信一 後閑 信一 ごかん しんいち 元競輪選手  平成2年4月に65期生としてデビュー。落車による大ケガや数々の困難を不撓不屈の精神で克服。第46回競輪祭、第15回寛仁親王牌、第56回オールスターとG1で3V。面倒見いい親分肌と風貌から〝ボス″と称された。平成30年1月引退。通算成績は2158戦551勝、2着311回、3着255回。

第112回 カロリーメイトを隠し持ち黄檗山へ  2020年10月12日

 今回は私が幾度となく訪れた(黄檗山)での罰則訓練の模様を覚えている限り書いていきたいと思います。もしかすると、連載が数回にわたってしまうかもしれませんが、辛さあり笑いありの思い出の黄檗山!あの当時は本当に嫌だったし、意味あるのかね~などという声もありました。確かに黄檗山に行った後は、事故点はクリアになりますが、黄檗山の期間中は一週間も自転車に乗れない環境にありましたので、調子の良かった選手もガタ落ちになりますし、ファンの方からも色々言われていた事も耳に入っていました。しかし、我々選手は世の中の縮図のように、政治家を選挙で選びそれに従う!文句があるなら選挙に出て自ら変えて行くしかない現実があり、走るだけでも大変な私にとっては、ただ一生懸命に走って後は係の方にお任せして従う!これが私の考え方でした。なので罰則に対しては甘んじて受け入れ、私の黄檗山通いは始まりました。
 先ずは、黄檗山にはいくつかのコースがあります。軽微な累積点の2泊3日コース・3泊4日コース・重責累積点の5泊6日コース・更にその上の8泊9日コースもありました。私はいずれも5泊6日コースでした。自宅のポストに、ある日突然大きな封筒が送られて来ます。封を開けると違反訓練の日にちや持ち物、行かないと斡旋を出さないとか、あなたは何月~何月の事故点が何点でしたので5泊6日。旅費はある程度出ましたが、確か講義費用は6万円を超えていたと思います。これには私も1週間も拘束をされて自転車の練習も出来ずに6万円はキツイな~と思いました。そこの不満から始まりいよいよ黄檗山へ向けて出発です。
 集合時間はレースの前検日と同じく午後の1時までに黄檗山に入り受付けをしなければなりません。しかもスーツ!夏は汗だくになりイライラします。高崎駅から京都駅までは新幹線ですが、京都駅からは奈良線に乗り換え黄檗の駅まで在来線に乗ります。風情ある民家を見ながら心も落ち着いた頃に「黄檗~黄檗~」到着です。黄檗の駅を出ると、これまたすぐに上り坂!しかも当時はまだコロコロのスーツケースを持っていなかったので、ヴィトンのボストンバッグにセカンドバッグ、、。そして確か黄檗の駅から7~8分程、歩いた所に(黄檗山萬福寺)というお寺があります。当時、私が新人だった頃は全国に4300人も競輪選手がいましたので、黄檗山にはたくさんの選手達が集まってきました。各選手、レースの時とは全く違う緊張感のない表情でした。受付の時はレース参加時と同じく携帯電話も預けなければなりません。まだスマートフォンなどは無くポケベルか携帯電話、PHSを預けて開催式に参加して終わり次第、各ジャージに着替え住職からのお話があったような、、。そして本堂は100畳以上はある畳の大広間での陣取りはだいたい各県でしたが、仲の良い者同士も集まっていました。お菓子や余計な物は一切持ち込んではいけません!見つかったら即、没収となってしまいます。悪ガキだった私は没収されたら仕方ない。でも体を維持するために、念のために、、。カロリーメイトだけは補食にもって行きました。プレーン味にフルーツ味にチーズ味、あの頃のカロリーメイトは画期的でした。5泊6日分はかなりの量でしたが、ボストンバッグの底板の下に敷き詰めていたので、1回も見つかった事はありませんでした、、ニヤリ(笑)。
 そして夕方5時頃には食事の準備を始めます。各県が班別され、いくつもの係になりローテーションをする仕組みになっています。食事当番は早めに食堂へ行き、ご飯の入ったおひつや味噌汁の入った木製の入れ物や湯飲みを各テーブルに均等に置いて行きます。メニューは毎回、違いますがいわゆる精進料理です。おかずはチョロチョロっとあるだけで、必ず着いているのが「2枚のたくあん」です。その「たくあん」は最後まで食べてはいけない理由があるのですが。それは後ほど説明することにして、、、その前にまず、全員にお椀と小皿が数枚渡されます。これはご飯用と味噌汁用そしておかず用と湯飲み用です。そこに箸と風呂敷が渡されます。基本は風呂敷の上にお椀と小皿を重ねて箸を一番上に置いて風呂敷で被い縛って1人1人が棚に置いていく。正直、名前も書かなかったので、大体これかな~と潔癖症の私にはあり得ない状況でした、、汗。なので箸入れを折り曲げて印を付けたり工夫をしました。
 話は戻りご飯も各人がよそり終わると「チーン!チーン!」と住職が現れます。選手達もその雰囲気に包まれると「シーン!」となります。そして何やら食事の前に感謝の言葉を何箇条か唱えるのです!その題名が「五観の偈!!」(ごかんのげ)シーンとしていた状況からどこからか、くすっ、くすっ、と笑い声が聞こえ、私はその度に嫌な思いをしていた記憶があります。因みに、、食事五観の偈!「一つには功の多少を計り彼の来処を量る」「二つには己が徳行の全けつをはかって供に応ず」「三つには心を防ぎ過がとんとうを離るるを宗とす」「四つには正に良薬を事とするは形枯を寮ぜんがためなり」「五つには道業を成ぜんがために将に此の食を受くべし」、、。これを住職に続いて我々選手達が唱えてからの、、住職「いただきます!」に続いて選手「いただきます!」やっと食事に入れるのです!初日はみんなガッツリ食べています。がしかし、、、。

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