不撓不屈・ボスの自転車人生

不撓不屈・ボスの自転車人生

後閑 信一 後閑 信一 ごかん しんいち 元競輪選手  平成2年4月に65期生としてデビュー。落車による大ケガや数々の困難を不撓不屈の精神で克服。第46回競輪祭、第15回寛仁親王牌、第56回オールスターとG1で3V。面倒見いい親分肌と風貌から〝ボス″と称された。平成30年1月引退。通算成績は2158戦551勝、2着311回、3着255回。

第1回 『自転車との出逢い』

第2回 『信一、学習塾へ行く?!』

第3回 『パワー底力の原点!』

第4回 『究極の選択を迫られる』

第5回 『前橋育英高校進学を決意』

第6回 『デビュー戦で1分12秒43!』

第7回 『新谷さんは宇宙の上の存在』

第8回 『競輪の原点は【新撰組】』

第9回 『気を張り巡らせた街道練習』

第10回 『榛名山で伝達のシステムを養う』

第11回 『負ける自分は許せない』

第12回 『輝いて見えた競輪選手』

第13回 『緊張感から作られた強い心』

第14回 『誰よりも旺盛だった探求心』

第15回 『笑顔で抜き去った神山選手』

第16回 『ロードレースに興味を持つ』

第17回 『校庭でロードレース!?』

第18回 『質の源はプロともがく緊張感』

第19回 『顔は怖いが意外と優しい』

第20回 『未知の魅力・ディスクホイール』

第21回 『おめでたい高校2年生』

第22回 『苦労したスタートダッシュ』

第23回 『弱気に勝つには練習量しかない』

第24回 『脚を溜めるコツを覚えた』

第25回 『終盤は集団のど真ん中はヤバイ!』

第26回 『アウタートップが軽く感じた』

第27回 『自転車競技の虜になった』

第28回 『インターハイで函館競輪場へ』

第29回 『プロ選手並みの3年生』

第30回 『インハイの強烈な思い出』

第31回 『小嶋選手をロックオン』

第32回 『中途半端に終った沖縄国体』

第33回 『中学2年生のドリルに取り組む』

第34回 『65回生に技免入学を目指す』

第35回 『のり弁が築いた信頼関係』

第36回 『とても愉快な後輩たち』

第37回 『自転車部にマネージャーを』

第38回 『大きな励みができる』

第39回 『割り箸マウスピース』

第40回 『マネージャーが励みに』

第41回 『回転力に磨きをかける』

第42回 『アンモニアで集中力アップ』

第43回 『ベストで臨めた京都国体』

第44回 『負ける気しなかった京都国体』

第45回 『また火花散らす児玉選手』

第46回 『ビックリ仰天の身体検査』

第47回 『ベスト尽くせた二次試験』

第48回 『競りながら登る街道練習』

第49回 『若いうちに距離走り基礎を作る』

第50回 『思い残す事なく競輪学校へ』

第51回 『夢の競輪学校生活が始まる』

第52回 『えっサッサ体操から勝負』

第53回 『衝撃を受けた三宅伸選手』

第54回 『怖かった先輩期・64回生』

第55回 『無名の吉岡稔真選手を意識』

第56回 『夢は在校1位で卒記優勝』

第57回 『競走訓練は強い選手になりきる』

第58回 『師匠の訓示で先行選手へ』

第59回 『最悪だった雨の日のレース』

第60回 『魅せられた吉岡選手のフォーム』

第61回 『ライバルが多かった同期生』

第62回 『楽しめなかったクラブ活動』

第63回 『卒業記念は無念の決勝3着』

第64回 『100万円を目指し練習に没頭』

第65回 『A級デビュー戦でいきなり優勝!』

第66回 『第1号車は日産シーマ』

第67回 『大切なのは根性と仲間』

第68回 『プロの険しさ感じたS級初優勝』

第69回 『まずは記念回りを目指す』

第70回 『現実を叩きつけられた取手記念』

第71回 『吉岡稔真選手の存在に奮い立つ』

第72回 『21歳は練習漬けの日々』

第73回 『21歳で2億2000万円の買い物』

第74回 『特別競輪でも帰った翌日から朝練習』

第75回 『波潤万丈な競輪人生の幕開け』

第76回 『挑みまくった22歳』

第77回 『22歳も後半戦に突入』

第78回 『生活レベルが一気に下がる』

第79回 『長い斡旋停止中に痔痩を患う』

第80回 『2カ月半の入院で体力ガタ落ち』

第81回 『宮杯で稲村成浩選手と表彰台へ』

第82回 『固く重いフレームがステータス』

第83回 『自らの怪我でスポーツ医学を学ぶ』

第84回 『偶然にマーク屋の技術を学ぶ』

第85回 『空き巣に入られ自宅を売却』

第86回 『自宅に買い手が付かない!』

第87回 『人生は山あり谷あり!』

第88回 『神山雄一郎選手の虜になる』

第89回 『関東3車で競り合う』

第90回 『決勝に65期3人が進出』

第91回 『マーク技術は実戦でしか身に付かない』

第92回 『手応え掴んだ寛仁親王牌』

第93回 『課題残った競輪祭決勝』

第94回 『グランプリ前夜祭は最高な場』

第95回 『再び神山選手と連結を外す』

第96回 『結果は失格も手ごたえつかむ』

第97回 『絶好のチャンスを逃がす』

第98回 『集中力を欠くと事故に繋がる』

第99回 『大ケガ克服し決勝進出』

第100回 『満身創痍ながら準優勝』

第101回 『阿部康雄さんと解り合えた』

第102回 『諦めなければ道は開ける!』

第103回 『いよいよケイリンGP'97が発走!』

第104回 『今でも責任を感じる失格』

第105回 『3年連続のGP出場が濃厚に』

第106回 『絶望感の中、帰途につく』

第107回 『テンション上がらぬ年末を迎える』

第108回 『1999年はいきなり失格!』

第109回 『自分自身を励まし続けた1999年』

第110回 『地元の寛仁親王牌から上昇気運に』

第111回 『気分良く帰宅も郵便物がポストに…』

第112回 『カロリーメイトを隠し持ち黄檗山へ』

第113回 『テーブルの下から「ごはんですよ」が…』

第114回 『日常では味わえない時を過ごせた』

第115回 『黄檗山に行くと成績ダウン』

第116回 『神山さんから頂いた言葉で再び火が付く』

第117回 『神山さんは兄貴のような存在』

第118回 『神山さんの番手は他地区に渡せない』

第119回 『初日に親指骨折も走り続ける』

第120回 『力になったファンの声援』

第121回 『成績不振の時は大切な物を手放す』

第122回 『思い出多かった日産シーマ』

第123回 『夢と希望に溢れた時期』

第124回 『スーパーカーに魅せられた』

第125回 『刺激をもらったフェラーリ512TR』

第126回 『競輪は人生の縮図』

第127回 『行き詰まった時は開き直る』

第128回 『辛い日々が嘘の様に思えた』

第129回 『競輪の神様に認められた』

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