不撓不屈・ボスの自転車人生

不撓不屈・ボスの自転車人生

後閑 信一 後閑 信一 ごかん しんいち 元競輪選手  平成2年4月に65期生としてデビュー。落車による大ケガや数々の困難を不撓不屈の精神で克服。第46回競輪祭、第15回寛仁親王牌、第56回オールスターとG1で3V。面倒見いい親分肌と風貌から〝ボス″と称された。平成30年1月引退。通算成績は2158戦551勝、2着311回、3着255回。

第74回 特別競輪でも帰った翌日から朝練習  2019年9月6日

 20歳で結婚をして21歳で長女の百合亜が生まれ、2億円の家と1800万円の新型メルセデスベンツSクラス、そして200万円の金無垢のローレックスを手に入れ、21歳ではあり得ない生活をしていました。どうせ背負うなら!と家族と自分の欲しいものを全て手に入れながら頑張って行こうじゃないか!と全て今後自分の人生ストーリーが成功する前提で、前向きでしかありませんでした。これを読んで皆さんは「21歳で銀行がそんなに融資してくれないでしょ?」と思う人もいるでしょうが、当時はまだバブルが崩壊するも、まだ余韻がある頃でしたので、頭金なしで後閑さんなら4億円まで貸してくれると言われた時代でした。なので軽井沢に合宿がてら別荘を買いに行ったりと、とにかく21歳の頃は夢と希望しかなく、バブリーな生活をしていたのは競輪選手になれたからだと、そりゃ~毎日真剣に人が出来ない量と強度の練習をやり抜いた覚えがあります。
 そんな感じでS級に昇格。特別競輪にも毎回出場出来る様になってきました。当時は【参加名誉賞】という賞金があり、レースの賞金とは別に貰える賞金がありました。私の一番最初に出場したレースは1992年に岸和田競輪場で行われた全日本選抜競輪でした。成績は2着、6着、3着、4着と、毎日打鐘から全開で仕掛けた結果としてはまあまあ見せ場はつくれたかな?という思いで帰省した思い出があります。賞金も「えっ?」と思えるくらい多かったです!しかし、そこで普通なら満足してしまいそうですが、わたしは違います!同期の吉岡稔真選手の21歳でダービー制覇と常に比較する様になり、アイツと比べたら鼻クソの様なものだ!と常に満足しない【後閑信一】が出来上がっていたのです。特別競輪であろうと帰ったら翌日から朝練習!吉岡稔真選手に追いつきたいと雨の日も風の日もひたすら前に前にベダルを踏み続けていました。そうやって苦しい思いをしていないと、いい車だったり、時計は身につけたくはないので、やる事をしっかりとやってから車や時計はする様にしていた私の価値観!それは今でも変わってはいません。

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