ダービー王でS班返り咲き
平原康多
通算8度のG1制覇。数々のタイトルを手にしてきた平原康多だったが、不思議と日本選手権(ダービー)には縁がなかった。
「20年以上やってきて、どんなに絶好調な状態でも勝つことができなかった大会なので。大怪我から復調途上の段階で優勝することができたのは、本当に家族、ファンの人たち、練習仲間の支えだったり、今回一緒に戦ってくれた仲間の支えに尽きます」
表彰式では感極まるシーンも。「涙をこらえるのに必死です」と、始まった優勝インタビューだったが、こみあげてくるものを抑えることはできなかった。
決勝には関東勢が、大挙5人が進出。ラインは2つに分かれた。
「(別線になったのは)みんなにチャンスがあるようにっていうのが大きな要因です」
小林泰正、諸橋愛とは別線。武藤龍生と吉田拓矢との3人のラインで、平原が番手を回った。レースは単騎の選手が4人。それだけに誰もが一筋縄ではいかないと思われたが、吉田への信頼は揺らぐことはなかった。
「(吉田)拓矢が一番強いって信じていた。どの状況でどの位置で引いても、力でねじ伏せてくれると思っていました。赤板からジャン辺りは単騎の人の動きを拓矢がどうするかっていうのを見ていた。どこで引くのか待ってる感じだったんですけど。1回踏める態勢に入れば、もうどこからでも行っちゃうと思ってました」
吉田は迷うことなく、最終ホーム手前から仕掛ける。平原の言葉通り、小林をねじ伏せた吉田に続いた。後ろは頼れる同県の後輩、ラインの絆を肌で感じながら、平原は間合いを取った。
「(吉田が出切って)あれをまくって来られる人は、ちょっといないだろうってスピードだった。あとはもうゴール前勝負。拓矢のタレ具合とかを判断しながら、自分が踏んだ感じですね。あの距離だったら拓矢も押し切れる距離だと思ったので、最後は(武藤)龍生と3人の力勝負だなって感じました」
インを締めていた武藤だったが、最終4コーナーで諸橋ともつれる。吉田は直線で失速し、外の伸びるコースを岩本俊介が踏み込む。ライン3人での勝負とはいかなかったが、平原がこのチャンスを逃すことはなかった。別線にのみ込まれることなくゴールを駆け抜けた。
「(優勝は)信じられない気持ちで、しばらくゴールのあとに回ってて龍生が声を掛けてくれて現実に戻ったような感じですね(笑)」
これまで07年から日本選手権のファイナルには7度進出も、15年の京王閣での準Vが最高成績だった。8度目の優出の今シリーズで、夢にまで見たダービー王の称号を手に入れて、グランドスラムにあと1つと迫った。
「自分のなかでは日本選手権を獲るというのが、本当に一番の夢だった。いまはグランドスラムがどうこうというのは考えられないです。強い脇本(雄太)が出てきて、スピード競輪になった。それを何年も追いかけてきたんですけど。それで体を壊したって部分もあるし、落車で壊した部分もある。そういうのも含めて元々の自分を取り戻せた1年だったのかなと。いまは(そう)感じています」
昨年は落車禍で満足といえる状態になかった。がしかし、前回の西武園記念で1年ぶりに、このステージで戦える手ごたえはつかんでいた。10年間続いたS級S班が途切れた今年にダービー制覇。苦難の時もプラスにとらえることができる平原だからこそ、勝利の女神が舞い降りたのだろう。
単騎は4人。古性優作、清水裕友、山口拳矢が中団に切り替えていくなかで、岩本俊介がただ一人、9番手でじっと我慢でして打鐘を通過。吉田ラインの仕掛けに乗るも、最終バックでは3車併走の大外と苦しいポジション。それでも2センターから踏み込んで2着。初めてのG1ファイナルは準Vに終わった。
「切れ目でも単騎のなかで一番後ろになると思っていた。終わったあとに(最終)2コーナーで行けなかったって(周りの選手に)言われたけど、決勝でしたし3コーナーからでした。2コーナーで行っても、平原さんに合わされていたと思う。2着だけどビックリ。G1の初決勝でお客さんの車券にからめたのはうれしい。運が良かったです。そういう展開で脚をためられていた」
打鐘で単騎では“最前列”の3番手にいた古性優作。結果的には反撃に出た吉田ラインに岩本までスルーして、まくった山口にもかぶって後方で万事休す。コースを探して直線強襲も、3着が精いっぱいだった。
「いい位置を取れたけど、(最終)ホームで平原さんのところに行くべきでした。ただ、ただ、力不足。力がなかっただけ。力があればどんな展開でも1着を取れるので。僕が目指しているところ、練習のワット数ができるようになれば、G1を獲れる確率が特段に上がると思います」