400バンクの初代王者は深谷知広
16年4月に大地震が熊本を襲った。その影響で熊本での記念開催は9年ぶり。400バンクに生まれ変わってから初めての記念を勝ったのは、深谷知広だった。
「震災直後の(熊本の)状況を見ているので、ここまでこられた熊本のパワーを感じた。どんな優勝もうれしいけど、熊本で走って優勝ができたのはうれしい。地元みたいな雰囲気で迎えてもらった」
競輪開催もままならない熊本の惨状に、深谷は“熊本復興応援プロジェクト”のチャリティーオークション、トークショーなどを通して、熊本競輪の再開に尽力してきた。それだけに、いつもの4日間以上の思いが、1走、1走にこもっていた。
「自分はナショナルチームの活動とかがあって、支援ができたのはだいぶ前になる。それでも覚えてくれていたのはうれしいし、少しでも力になれたかなと」
表彰式典に登場した深谷には、自然とファンから支援に対する感謝の声が飛んだ。そんなメモリアルの優勝が、深谷にとってはデビュー通算400勝の区切りでもあった。
周回中は4番手。前団に構えた中国勢の動きを見てとれる好ポジションだった。赤板過ぎに地元コンビが押さえて出るが、打鐘ですかさず町田太我が叩いて主導権を奪う。深谷は6番手になった。
「(町田が)引いたら、切り替えてと思った。けど、スピードが上がったんで、そこは無理せずでした」
単騎の坂井洋が4コーナーから仕掛けて前団に迫る。もう一人の単騎、脇本雄太は最後方のまま。坂井を目がけて嘉永泰斗も仕掛けて出るが、深谷はじっとチャンスを待った。
「(坂井)洋が行った時に周りがどういう反応をするか待って、落ち着いてからでした。ワッキー(脇本)がそこで飛んで来なくて助かった」
最終バックから深谷がスパート。逃げる町田の番手には脚力を温存していた松浦悠士もいたが、確信のまくりだった。
「踏み込んだ時にイケるっていう手ごたえがあった。あとはあおりとかアクシデントに気をつければっていう感じでした」
番手から追い込む松浦との勢いの違いは明らか。ゴールでは深谷が、半車身の差をつけていた。
「前回が終わってから多めに休んで、直前だけで仕上げてきた。それが良かった。抜群の仕上がりにはまだ遠い。日にちはないけど、(次の寬仁親王牌までに)やれることをしっかりと。(グランプリ出場権争いには)どの道、一戦、一戦、勝てるように頑張るだけ。この位置にいられることはうれしいので、楽しみつつやりたい」
獲得賞金ランクでグランプリ出場を狙える位置にまで来た。それでも今年S級S班に返り咲いた深谷はブレることなく、目の前の一戦、一戦に全力投球で勝ち星を重ねていく。
地元勢を突っ張れなかった町田は、3番手から仕掛けて主導権を奪って駆ける。坂井、嘉永のまくりを振った松浦悠士に流れが向いた。が、最後は深谷のパワーに屈した。
「(赤板で切った)嘉永君がすごいうまかったですね。(町田は3番手から)すかさず行ってさすがだなっていうのと、もう少しためていってもおもしろかったのかなって。僕として後ろを全部、止め切れなかったのが悔い残ります。坂井君がまだ外にいるなかでの仕事だった。それで様子を見ながらだった。あとは町田君と隅田(洋介)さんとのゴール勝負かと。(深谷が)見えた時には遅かった。力が違いましたね」
中国ライン3番手の隅田洋介は、最終4コーナーまで外の嘉永とかぶっていたが直線は外に張りながら伸びた。
「(町田は3番手から)すぐに行ってくれたし、あそこまで掛かってくれれば。僕は全然、余裕がありました。最後はちょっと蛇行がききました。まだ町田君が踏めていたので、もうワンテンポ早く深谷君に引っ掛ける感じでいければおもしろかった。3番手は苦手というか、ライン取りが下手なのでもうちょっとですね」