疾風怒濤の競輪回顧録

疾風怒濤の競輪回顧録

山田 裕仁 山田 裕仁 やまだ ゆうじ 競輪評論家  昭和63年5月に61期生としてデビュー。平成9年KEIRINグランプリを皮切りに、GP、GⅠを優勝すること9回と、同期の神山雄一郎、吉岡稔真とともに一時代を築いた。14年3月のダービーで現役引退を表明。同年5月の引退後はスポーツニッポン紙で競輪評論家として活動している。

第5回 プロなんです  2016年1月15日

 学校時代の思い出も、ただただ自由がなく規則正しい生活をしてたぐらいしか・・・
 ほんとの意味のキビシイ練習は、やはり卒業してから始まりましたね。学校を85位で卒業してては、クビになるのは時間の問題。いろいろな意味で、せっかく選手になろうと頑張ってきたのに2年弱でクビになるわけにはいかない。卒業後、デビュー戦までは練習あるのみですね。
 私の師匠は、当時バリバリS級の中嶋直人さん。やはり強い選手は練習にはキビシかったですね。合宿は、自宅発進の高山まで約180キロの遠乗りです。早朝出発して着くのは夕方。途中、トイレ、昼食、ドリンク休憩ぐらいしか自転車から降りることなく、参加選手は必ず無口になります。(笑)高山に到着してから旅館で入るお風呂の気持ちいいこと、気持ちいいこと。お風呂ってこんな気持ちいいんだーと教えられる瞬間でした。お風呂後は、そりゃあ楽しみのお食事です。適度のアルコールで気分良くなった後は旅館に戻って翌日の練習に備えて睡眠。だけど、親からもらった丈夫な身体の私は、そのまま帰って寝るわけがない。高山の街で飲み歩いたなぁ(苦笑)だけど師匠もいるから翌日の練習は朝帰りであっても休むわけにはいかなかった。翌日は、安房峠という、と~っても長い登りの山を頂上まで、終わったら裏を回って一周して旅館へ。ホント自転車で日中は終わる。合宿には、アマチュアも参加するのですが、どうしてかアマチュアって山登りが得意なんですよねぇ。頂上まで行ったら小さな売店があって、そこで食べるリンゴがめっちゃ美味かったんです。普段自宅で食べれば、たいして美味しくもない部類のリンゴなのに、登りきったぞー!の満足感と、あの疲れた時に食べるから最高に美味しいリンゴになるんですよね。それを楽しみに登りきる。アマチュアには、「どうせプロは遅いから、先に行って頂上で待ってろよ」と言って出発したのに・・・
 何分遅れかでやっと頂上にプロは到着。調子が悪い時は、途中歩いたりするプロもいるような坂なのに、頂上にアマチュアがいない(驚)アレ!少したったら反対側からアマチュアが登ってきた。「すいませんでした。頂上がわかりませんでした」。ありえない。シンドさでおかしくなったか?下り始めるだけでも登りが終わりとわかるだろう。こいつはメッチャ強い選手になるか、選手になれないだろうとそう思った瞬間でしたが、結果は後者でした。
 私の持論
 「人生に山はあってもバンクに山はない」

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