平原康多が久々のG1制覇
15年以来、6年ぶりの弥彦が舞台のG1シリーズ。8度目のタイトル奪取となった平原康多だったが、弥彦では初めての戴冠だった。
「(弥彦は)別格かもしれないですね」
埼玉県所属として02年にプロデビューを果たした平原だったが、思い入れのある弥彦での優勝をこう口にする。
「中学2年生まで岩室村(現、新潟市)にいた。(決勝でも)自分が震えるくらい声援をもらって、すごい力になった」
地元の諸橋愛とともに決勝に進出。2人の前には今年大きく成長した吉田拓矢がいた。
「2分戦だったんで、ほぼ関東と北日本の戦いだと。前を取った方が突っ張る流れだと思った。(吉田拓矢を3番手に迎え入れて)そのくらいしないと隙がないのはわかってた」
スタート争いを新田祐大が制して、4車の北日本勢が前団に構える。平原の予想通り、新山響平が吉田を阻んで突っ張る。が、平原は3番手の菅田壱道が遅れた隙を見逃すことはなかった。瞬時の判断で位置を確保すると、吉田を3番手に迎え入れた。
連結が崩れた北日本勢だったが、新山が新田を連れてグングンと加速して風を切る。吉田が最終1センターから仕掛けると、新田が番手まくり。平原は新田後位にスイッチした。
「(吉田)拓矢が踏んだんで、新田君も慌てて(番手まくりで)踏んだ。(新田に切り替えたあとは)自分が思い切りいかないと、諸橋さんにもチャンスがない。それで思い切り(抜きに)いきました。そのままいけば(諸橋と)ワンツーくらいの感じだったと思う」
グランドスラムがかかっていた新田にプレッシャーをかけるように、最終4コーナー手前では平原は外に持ち出す。直線で新田と平原の中を割った諸橋が落車。新田を交わして久々のG1優勝の平原が、唯一、諸橋の落車を悔やむ。
「あれで(諸橋との)ワンツーだったら、なんの心残りもない。喜びの開催だったんですけど」
地元の諸橋とのワンツーこそ結実しなかったが、平原が今年もグランプリのチケットをつかみとった。
「良くなる前に落車。まったく良くならない半年間だった。今年は頑張っても頑張っても立て直せなかった。それがここにきて力以上のものが出たのかなと。G1が甘くないのはわかってるんで、またここに戻ってこられて幸せです。(宿口陽一とのグランプリは)選手になった時からずっと一緒だったんで、すごく楽しみにします」
6月の高松宮記念杯でタイトルホルダーの仲間入りを果たした宿口とのグランプリ。これまで関東勢を背負い続けてきた平原だけに、今年は新たな気持ちで年末を迎えることになる。
最終バックでは後方に置かれていた大槻寛徳は、5番手で直線を迎えて追い込む。2位入線の新田の失格で2着に繰り上がった。
「(自分の)着はいいが、レース(内容)は良くない。(菅田が)追い上げないので、自分が(追い上げて)いくなりとも思った。(菅田)壱道はこれからG1を獲ろうとしている選手だから、あえて厳しいこと言うけど」
結果的に3着の菅田壱道だったが、北日本ラインの崩壊を招いただけに終始、反省の弁。
「全部、俺のせい。脚力のなさを痛感しました。新山君、新田先輩のナショナルチームのダッシュに付け切れなかった」
吉田のまくりに番手発進しかなかった新田祐大は、直線の斜行で諸橋と接触。グランドスラムは来年に持ち越された。
「平原さんがピッタリ付いているはわかってた。ゴール勝負まで体力がもちませんでした。(グランドスラムを)意識したことで、決勝までモチベショーンを高くもって戦うことができた。でも、成し遂げることはできなくて難しかった。もう賞金では(グランプリに)出られないので、(競輪祭で)優勝しかない。気を引き締めて調整したい」