河端朋が復活のまくり!!
腰部ヘルニアを発症して昨年10月から4カ月の長期欠場。2月に実戦復帰後も低空飛行が続いていた。“まだ4割程度。自力らしい自力が出せていない”と現状を話していない河端朋之だったが、ナショナルチームでも長らく活躍して実績を残してきただけに底力が違った。長い距離を踏み切る脚は戻っていなくてもダッシュ力は健在。決勝も冷静に持ち味を生かし切ってGIII初優勝を遂げた。
「車番的に後ろになったら押さえにいって、突っ張られて踏み合うか、諦めるかになってしまうので後ろ攻めはいやだった。(嵯峨が)突っ張ってくれたので4番手は死守だなと思ってました。ヨコに吉田君がいたけど、(ヨコもできる)山岸君が(ヨコに)いる方が嫌だった。それでチャンスが生まれたと思う。隙間を縫って、後ろに阿竹さんも付いているので無理やり仕掛けました。誰よりも脚を使っていなかったので、スピード差が出ましたね。前が突っ張り先行で、番手も掛かり切っていないなかで番手から出ていたし、僕だけが脚をためられた。あとは本当にガムシャラでした。後ろの状況は分からなかったし、直線では阿竹さんが来ると思っていて、ゴール線を過ぎるまで優勝は分からなかった」
できることは限られていたが、冷静に中団を取り切って一発に賭けた。その作戦がハマって流れは河端に。地元勢が吉田有希を突っ張って出させず、根本哲吏が番手まくりに出ると間髪入れずに襲い掛かった。
「GIの裏で、本当の上位ではないけど、ケガもあるし、点数も大きく下げているなかで、ひとつのきっかけにしたい。本当の自力っていう自力は2日目ぐらいしか出せていない。トレーニングだったり、体のコンディションはまだまだ。慢心せずに精進したい。このメンバーと体の状況で、ここ(優勝会見)に座れるとは思っていなかったので嬉しいです。100メートルや200メートルは踏めるけど、それ以上の距離になるとパコパコして体の位置がずれていく。左側に痛みも出る。トップスピードや、航続距離も落ちているので、ドカンとカマすことができない。なので、今回みたいな、ためていくレースになる。それがハマったんだと思います。この優勝をきっかけにしていきたい」
いい時のイメージはそんなに簡単に戻るものではなさそう。だが、この優勝は何よりもの励みになるし、限られた武器を最大限に生かして反撃態勢を整えていく。
河端の踏み出しにやや口が空きながらも、阿竹智史が自ら踏み上げて河端を追って2着に入った。
「取れたら前から、後ろはしんどいと思ってました。いい展開にはなりましたね。吉田がバタやん(河端)のヨコにいて仕掛けづらかった。すごいところでいくなと思いましたね。3コーナーの上りで、普通なら無理なんですけどね。自分は(仕掛けを)見た感じでした。そしたら出切る感じだったので慌てて追いかけた。でも、ピタリでも抜けていない。全て前のおかげで2着でした」
地元勢は強力関東勢のペースにならないように全力で抵抗した。吉田を出させず嵯峨が駆け、根本が番手まくりに出る。形は作ったものの、中四国勢に飲み込まれて新山将史が3着に入るまで。
「1番車をもらったので、吉田には主導権は渡さないようにと思っていた。(嵯峨)昇喜郎は最高の仕事をしてくれました。根本さんも、車間を切りながらだったし、自分も余裕がなかった。本当は河端さんに被る前に自分が出ないといけない。少し車間を空けて対応できるようにしておかないといけなかったし、そこは今後の課題です。(河端は)すごい勢いで来ていた。自分にもうちょっと脚があればゴール前勝負できた。3着までがやっと。(阿竹は)踏み遅れていてもスピードがあったし、タテ脚が足りない。(2年前の青森記念決勝2着は)たまたま番手まくりに付いていっての2着だし、今回の3着の方が内容はあると思います」