九州連係を実らせた北津留翼
「地元のファンに応援していただいて、後輩3人に気を使ってもらって、負けるわけにはいかないと思った」
九州勢が4車で結束。若手が前と後ろを固めて北津留翼は3番手。ラインの想いを受け取り、くすぶっていた北津留の闘志に火が付いた。
阿部将大が竹内雄作を一気に叩き、北津留は粘られることなく3番手。しかしながら、伊藤旭が一瞬内を空けた隙を逃さずに、単騎の郡司浩平が内から伊藤旭を捌いて北津留後位を確保する。阿部の余力を見極めた伊藤颯馬が、番手まくりに出て、北津留は最終3コーナーからその外を踏んだ。
「なかなか勝てるとは思っていなくて。優勝に一番近いところを回らせてもらったけど、やらかす気はしていたんです。現にスタートを失敗した。前が欲しかったんですけど。全ツッパが一番優勝に近いと思っていたので。スタートを取れなかった以上は、粘られても勝負だと思って腹を決めていました。(出切れて)ホッとしたけど、次の動きを見ていました。郡司君が後ろに入ったのは分からなかった。(最終)2センターで僕の内に入ってきたときにあれって」
郡司が中を割るようにして、内から迫る。渾身の力でペダルを踏み込んだ北津留が、4分の1輪差で郡司を退けて、白熱のデッドヒートを制した。
「最後は抜かれたかと思って目一杯踏んで、本気でハンドルを投げた。半信半疑でしたけど、(ビジョンで1着を確認して)ホッとしました。レースが続いていて、練習不足でパフォーマンスが低下していると思っていたけど、実戦勘があってそれがプラスだった」
17年宇都宮記念以来のG3制覇に「もう久しぶり過ぎて、前回の記念優勝がいつのどこだったか覚えていないんですよ」と笑う。地元勢が『中野カップレース』を制したのは、14年の坂本亮馬以来8年ぶりだ。
「中野(浩一)さんがスプリントをやっていて、僕もスプリントをやっていた。一から全部、高一の時からひたすら中野さんのビデオを見て勉強していました。これで競輪祭の権利が取れた。競輪祭は一つの目標だったし、今年は園田(匠)さんと一緒に優勝できるように頑張りたい」
今度は忘れられない優勝となったことだろう。それを胸に、今年も暮れの小倉バンクで地元ファンを熱狂の渦に巻き込む。
郡司浩平が2着。優勝こそ届かなかったが、さすがの立ち回りで単騎の不利を感じさせなかった。
「(中部勢の前受けが)ちょっと意外でしたけど。出させないのかなって思ったんですけどね。ちょうど車間が詰まった所で(伊藤旭の)内が空いたので。でもそのあとまたロケットみたいにどんどん掛かっていきましたね。でも、しっかり先手ラインには乗れましたし函館(記念決勝)みたいな失敗はしなかったので。北津留さんがちょっと早めに外を踏んだのでチャンスはあるかなって思ったんですけど、届かなかったですね」
番手まくりの伊藤颯馬が3着。初めての記念決勝で、確定板入りを果たした。
「岡本(総)さんのスタートが早くて。本当は前からが良かったんですけど。でも逆に前受けから突っ張って駆けるよりも中団から合わせて出ていく方が阿部さん的にも駆けやすかったと思うのでそれは良かったのかも。ジャン前から結構踏んでいって自分も脚に来ていたんですけど。(伊藤)旭君が捌かれて郡司さんが4番手を取ったのはわかったので。あの位置から先まくりをされたらきついなって思ったので、苦しかったですけど行きました。結果的に北津留さんが優勝で、ラインとして勝てたと思う。競輪祭の権利も取れて良かったです。阿部さんのおかげですね」