追い風感じた6日間
「平成28年熊本地震被災地支援競輪」として行われた今シリーズ。いまもなお、やまない断続的な地震に練習どころか、いつもの生活さえままならず苦しい状況のなかで、熊本からは6人の選手が出場。たくさんの人たちの思いを背負った中川が、苦境を力に変えてドラマティックなG1初制覇を遂げた。
「感謝しかない。この被災地支援競輪で僕が優勝できたのも、みんなが応援してくれたおかげです」
4月14、16日と熊本を大きな揺れが襲った。全日本自転車競技選手権大会トラックを控えていた中川は、2度の地震の際には神奈川、静岡にいたが、大会欠場を決めた。その後、なんとか自宅にたどり着いたのは数日後だった。
「2回目の地震で移動ができなくて1日、2日待って。それから福岡に飛んで先輩に迎えに来てもらいました。(自宅の)建物自体はなんとか持ちこたえたんですけど。家の中はぐちゃぐちゃでした。5日間くらいは熊本でできる限りのトレーニングと、片付けに追われていた感じです」
故郷の大きな被害を目の当たりにした中川は、自らを鼓舞。ありったけの思いと力を自転車に込めて、その走りで被災地にエールを送ることを誓った。
「僕ができることは走ってアピールすることなので、それができたのでサイコーですね」
レースは、深谷に押さえ込まれた新田が番手で粘り、吉田と併走で赤板を迎えた。深谷がインを空けると、誘われるように新田が内を抜け出して主導権を握るが、深谷も打鐘の3角から反撃。新田、深谷、両者の踏み合いで、中川に千載一遇のチャンスが巡ってきた。
「いろいろ考えたんですけど。やっぱりもう自分が一番得意な悔いのない戦法で、思い切りワンチャンスだけに集中していこうと思っていました」
牛山、稲川と中川以外の単騎の2人が流れに遅れまいと前々に踏み込むなかで、中川だけが打鐘を過ぎても車間の空いた9番手の最後方。じっと脚を溜めて、自らの爆発力を信じて一撃にかけた。
「新田君と吉田君を追いかけているので必死でした。もう、それだけでした。(ゴールを先頭で駆け抜けて)シビレました」
最終ホームから踏み込むと、不発で浮いた深谷のあおりを物ともせず大まくり。合わせるように自力に転じた吉田、逃げる新田をとらえても中川のスピードは衰えず、2着の吉田を4車身ちぎって颯爽とゴールを駆け抜けた。
「自分の力だけじゃないような感じがして。みんなに獲らせてもらった感じです。本当に自分に6日間追い風が吹いていたような感じがする」
優勝賞金6500万円獲得し、年末のグランプリ初出場を決めた中川は、8月には2度目の五輪出場。スプリント種目でメダルの期待もかかる。
「(賞金は)全部って言いたいところですけど(笑)。(五輪で競輪を)3カ月くらい休むんで、多少なりとも熊本に使っていただけるように(寄付を)考えたいと思います」
故郷への支援を約束する中川が、今度はリオ五輪で被災地を元気づける。吉田敏、悲願ならず
新田に合わされた深谷の脚色が鈍ると、吉田は松坂が遅れて空いた渡邉の後ろの3番手を確保。最終2角、そこからまくり上げたものの、スピードの乗り切っていた中川に離されて2着。タイトル奪取は次回、地元の高松宮記念杯以降に持ち越された。
「(新田に)一番苦しいことをやられた。新田のイン粘りは想定していた。深谷には(内を)空けるなって言ったんですけど、声援で聞こえなかったみたいですね…。でも、深谷の気持ちは、僕に十分伝わってきたし頑張ってくれました。(中川が)見えた時にはギアが3枚くらい違っていた」
新田の先行策で8年前のダービーV再現も十分だった地元の渡邉は3着。
「タイトルというのは、獲るべき人が獲るもの。それが今回は中川だった。自分はキツかったけど、子どもたちにいいところを見せられたかと思います」
愛知分断策から深谷をすくって主導権を握った新田は、深谷を突っ張り切ったものの中川のまくりまでは合わせ切れず6着。
「流れのなか(でイン粘り)だったんですけど。そこからもスピードがあれば(深谷は)出ちゃうかなと思ったら…。攻めるつもりでやったんですけど、獲れなかったんでまた練習します」
打鐘から巻き返すも新田に楽に合わせられ最終1角で力尽きた深谷は、大差のシンガリに肩を落とす。
「新田さんに並ぶまでいってないし、やりたいレースができなかった…」