初のビッグタイトル獲得
「まだなにか信じられない。ドッキリじゃないかと思ってます」
絶大の信頼をおいている郡司浩平のまくりのスピードが最終3コーナーで鈍ると、間違いのないコース取りで内に進路を取る。逃げる脇本雄太の番手の平原康多が清水裕友を外に張って、和田健太郎の前にぽっかりとVロードがひらけた。「平常心」でやれたというように、レースではいつも通りの運行でビッグタイトルをつかんだが、ヒーローインタビューではまだ夢心地だ。
「これで満足してないと言ったら全競輪選手に怒られます(笑)。(優勝して)満足しいます。(優勝は)僕の走りというより、地元バンクの郡司君の走りが(自分の優勝)つながったのかと。ほぼ郡司君のおかげです」
獲得賞金7位で初出場のグランプリの権利を手に入れて優勝。初の賞金王に輝いた。04年の小野俊之、06年の有坂直樹に次いでノンタイトル(G1優勝なし)でのグランプリ制覇だ。
「(デビューしたころはG1優勝が)あまりにも遠かった。正直、今も(G1優勝へのこだわりは)ない。自分がいつも頑張ってやれるレース。いまさら気取ってもしょうがない。いままで通りですね、グランプリを獲って変わったって言われるのも嫌なんで」
デビュー19年目のグランプリ制覇。05年に平塚で行われたヤンググランプリには出場したが、G1初優出は17年。遅咲きの87期が11回出場の同期、平原も成しえていないグランプリ優勝を飾った。
「このレースで自分の車券を買ってくれて勝負してくれている人がいる。だから、G1とかF1とかレースの格に関係なく、自分は目の前にあるレースを一戦、一戦頑張るだけです」
“雑草魂”でつかんだグランプリ。21年はチャンピオンジャージをまといプレシャーと責任のなかでも、一走入魂のスタイルは変わらない。
逃げた脇本雄太は、2年連続の2着。平原とタッグを組んで戦った大一番をこう振り返る。
「自分のなかで最善は尽せたと思う。これだけやって負けたならしかたない。自分の中で初手は理想の形でしたね。新田(祐大)さんの後ろから進めたかったので。松浦君の動きが自分のなかで想定外でしたね。あんなに持ってくると思わなかった。自分のなかでは優勝した高松宮記念杯と同じ感じで走れたと思うんですけど、周りが自分のレースを研究しているなって感じました。平原さんと初めての連係だったし、やった方だと思います。お互いに今まで敵同士として戦ってきたけど、今回ラインを組んで。平原さんに任せてもらえたのは光栄ですし、お互いに尊重しながら戦えた。負けて悔しいですけど、走っていて楽しかった」
連覇こそならなかったが、佐藤慎太郎は最終バック8番手からコースを探して3着に突っ込んだ。
「新田も1回、動けばよかったんですよね。本人もレース後に言っていたけど。まあ2着まで行けそうな感じで踏めた。ワダケン(和田)みたいにいつチャンスがくるかわからないですから。チャンスがきた時につかめるように準備したい」