短期集中連載『ダービー王』第3回 ~成田 和也(福島・88期)~
~競輪の灯は決して消さない~。新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため、開催中止という苦渋の決断に至った「第74回日本選手権競輪(G1)」。“幻のダービーウイーク”にお届けしている短期集中連載『ダービー王』は、5月7日が第3弾。今回は、山崎芳仁とのタッグで12年に熊本ダービーを制した成田和也(福島・88期)に焦点をあてる。11年にG1のSSシリーズ風光る(3日間の2走制)を優勝したが、成田にとってはこの熊本ダービー獲得が実質的な初タイトルだった。
2020年5月7日 04時37分
-
選手詳細データ
-
成田和也 選手福島・88期
タイトルの重みをモチベーションに
同県、同期の山崎芳仁は、この時すでに7度のG1を制覇。グランドスラムに足りないのは、ダービーのタイトルだけだった。
「あの時のことはすごくよく覚えてます。不思議な感じでしたけど」と、成田和也は、8年前を振り返る。ギア規制がかかる15年以前だけに、山崎の決勝のギアは4.33。3.92のギアで臨んでいた成田に山崎を交わすのは酷だと思われた。それは山崎⇒成田の2車単13.7倍に対して、成田⇒山崎は32.5倍とファンの支持にも表れていた。
「山崎がすごく強かったし、勢いもあった。普段から一緒にやっているし、何度もラインを組んで走っている。だから、山崎のまくりを差すっていうイメージがわいてこなかった。ほぼ不可能に近いのかと(笑)。とにかく自分(が優勝)っていうよりも、山崎のグランドスラム。山崎が優勝するなら2着に食らいついて、車券に貢献したいっていう思いだった」
車券の人気では深谷知広に1番人気を譲っていたが、“滑走路”の異名をとる500バンクの熊本で、山崎のまくり追い込みでのグランドスラムに期待したファンも多かった。“不思議な感じだった”と、冒頭の成田の言葉は、ゾーンに入ってたというより、脇役に徹する冷静なメンタルから生まれたものかもしれない。その冷静さが結果的に成田にダービー制覇をもたらした。
レースは岡田征陽、長塚智広の関東勢を連れて、鈴木裕が先行策に出た。5番手で脚を溜めていた山崎は、4番手から村上義弘が仕掛けても動かない。最終バックを通過して、2センターで山崎が外を踏んだ。
「(最終)2センター過ぎくらいまで仕掛けなかったけど、山崎の(優勝できる)仕掛けのタイミングでいいっていうのがあった。だけど、山崎の前輪が長塚の後輪に接触した。それで(山崎が)ダメだと思った」
最終4コーナー手前、9番手から内を進出する園田匠を紙一重で制した成田が、内に降りてコースを突いた。直線で鮮やかに突き抜けて、大外を強襲した山崎を半車身退けた現地集合の福島ワンツーだった。
「内に行ったらうまくコースが空いた。(山崎が)仕掛ける前からずっと内が空いていたんで、誰かに行かれたら嫌だった。とにかく自分は山崎が行ってからと思ってました」
ダービーでタイトルをつかんだ成田は、翌年の13年、新田祐大の逃げを利して高松宮記念杯をV。北日本の追い込み選手として、確固たる地位を確立した。
「(ダービーを)獲れてから、その重みを感じた。そこ(タイトル)を目標にはしてたけど、獲ってからすごさがわかった。だから、(タイトルホルダーに)恥じないように、それに見合うような選手にっていうモチベーションがありました」
試行錯誤を重ねたここ数年は、追い込み選手の“氷河期”と相まって優勝も一昨年5月から遠ざかっている。ただ、41歳、まだまだ3度目のタイトルを狙える力はある。
「地元の泉崎の競技場が(5月の)今月いっぱいは使えない。街道の練習のみですね。自宅にウエートトレーニングの器具がある。バンクは入れないけど、そこまで影響はない。(新型コロナウイルス感染症の影響で大変な)こういう時だからこそ、一日一日を大事にしたい。レースはないけど、ちょっとでも上積みできるようにと思ってます」
2020年5月7日 04時37分
-
選手詳細データ
-
成田和也 選手福島・88期