短期集中連載『ダービー王』第5回 ~村上 義弘(京都・73期)~前編
~競輪の灯は決して消さない~。多くの競輪ファンが待ち望んでいた「第74回日本選手権競輪(G1)」は、新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため、開催中止になった。“幻のダービーウイーク”の開催期間にお届けしている短期集中連載『ダービー王』も、残すところあと2回となった。連載第5弾は最多タイとなる4度のダービー王に輝いた村上義弘(京都・73期)の「ダービー回顧編」。10年に弟、博幸とのワンツーを果たし、翌年に自身初となるダービー制覇を遂げた。ダービーにかける思い、そして村上にとってのダービーとは。
2020年5月9日 14時29分
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選手詳細データ
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村上義弘 選手京都・73期
兄弟でダービーを連覇
「日本選手権競輪」。通称ダービーと呼ばれ、ファンをはじめ、選手、関係者にもなじみの深い呼び名だが、村上義弘は決して通称では言うことをしない。そこに村上の心のうちが凝縮されている。
「日本選手権は日本一を決定する大会。競輪選手になって日本一になりたい。それを手に入れるのが、この日本選手権。近年は日本選手権のステータスも上がってきていると思うし、本当に価値のある大会」
94年19歳でデビューした村上は、99年にダービー初出場を果たした。一次予選では同地区の水島章(引退)との車券が1番人気に推されたものの、先行して5着に沈んだ。02年には27歳で初めてダービーの決勝にも進んだが、シンガリに敗れた。
「自分が一番強かった20代後半には獲れなかった。(日本選手権に優勝するまでは)遠かったと思う」
その後、02年11月に全日本選抜でタイトルホルダーの仲間入り。03年にはオールスターを制覇するも、ダービーのタイトルには手が届かなかった。10年には村上の先行で、弟の博幸が優勝を遂げる兄弟ワンツー。ともに表彰台にあがった。
「兄弟ワンツーを決めて、あらためて(自分も)頂点に立ってみたいと。それで11年に(優勝)。村上兄弟で(日本選手権を)連覇して、10年、11年は思い出深い年だった」
13年に立川で2度目のダービー優勝を飾ると、続く14年の名古屋で連覇。3度目のダービーを制したが、選手会騒動により5月から長期の自粛を余儀なくされた。14年、あの名古屋ダービー決勝が、村上最後のレースになるのではという空気を現場の報道陣は感じ取っていた。
「(これが最後だと)決めてしまって(決勝を)走るのは嫌だった。ただ、これで終わってもいいかなっていうのはありました。でも、優勝をしてファンの声と(迎えてくれた)仲間の声を聞いた時。このまま(選手を)辞めるのは応援してくれる人たちに失礼というか、裏切ることになるんじゃないかと思った。もう1回、村上義弘を見たいって言ってくれた(ファンの)気持ちに」
1年だった自粛期間は3カ月に短縮され、村上はファンの思いを背負い復帰した。16年には同じ名古屋の舞台で、吉岡稔真(引退)に並ぶ4度目のダービー制覇。ファンの声援と仲間の支えが、41歳での日本一を村上にもたらした。(後編に続く)
2020年5月9日 14時29分
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選手詳細データ
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村上義弘 選手京都・73期