近畿新時代の幕開け
【本文15×22行+34行×19行】
近畿新時代の到来だ。怪我で戦線離脱を余儀なくされた村上義を欠いた近畿勢は、ただひとりのS班、稲垣裕が二次予選で早々と脱落。2人合わせてG1を14勝の平原、武田や息の合った深谷、浅井の中部コンビとG1決勝の常連を向こうに回して、近畿ひとりになった三谷は桑原との急造ラインで3度目のG1決勝の舞台に立った。
「ひとりでもしっかり力を出し切るレースをしようと。自分のやることに変わりはないんで」
勝負どころは打鐘過ぎに訪れた。8番手まで下げた深谷が浅井を連れて赤板の2角から踏み込むと、先頭に立っていた山田がイエローライン付近まで上がる。三谷はぽっかりと空いたインを見逃さず、俊敏に突いて3番手を確保した。
「浅井さんのところか3番手を取り切ってからと思ってました」
展開に応じて強気の攻めができるのも三谷の大きな魅力。桑原が続いて5番手以降がもつれると、前団を射程圏に入れ浅井との勝負に照準を合わせた。
「内が空いてたんで体が勝手に反応して、いいところで行けた。最後行けるかどうかわからなかったけど。ゴール勝負できるようにと思って踏んだ」
浅井との間合いを図り、最終4角から力のあらんかぎり踏み込んだ。ゴールでは優勝を確信できるのに十分なアドバンテージ、1車身差をつけていた。
「素直にうれしかった、(ゴールして)1着っていう確信がありました」
父、典正氏(49期引退)、そして政史(93期)、将太(92期)の2人の兄を追いかけて輪界に飛び込んだのは自然の流れだった。競輪一家のなかで育まれた才能がダービーの大舞台で開花。輪界の歴史の新たなページを開いた。
「100期台初ということは非常にうれしいです。(父には)あんまり褒めてもらえることがないので、唯一褒めてもらえるかなと(笑)」
96期の深谷以降、100期台としては初めてのG1制覇を遂げた。
「タイトル獲ったことを誇りに思って、一戦、一戦頑張っていきたい」
14年の村上博の全日本選抜、村上義のダービー、そして高松宮記念杯の稲川翔。さらに昨年、村上義のダービーとグランプリ、稲垣裕が初タイトルを奪取した寬仁親王牌。ここ数年はすべてラインの厚みをバックボーンにして優勝を重ねてきた近畿勢から生まれた“ニューエイジ”。三谷がこれからの近畿の世界をつくりあげていく。【負け組34×19行】浅井康、止められず
二次予選では松岡貴、単騎の準決は中部勢を選択した桑原は、初のG1決勝で三谷の番手。最後までライン選択で正解を出して2着に入った。
「三谷君には獲れるように走ってくれと言っていた。それで獲ってくれたんで最高です。思い切り抜きにいったけど、最後は脚が三角に。これが経験かと。本当に思い出になった。今日の夜はひとりでニヤニヤしますよ(笑)」
赤板の2角から踏み込んだ深谷がタイミング良く主導権を握って、番手の浅井に願ってもないチャンスが訪れた。11年のオールスター以来、久々のG1Vかに思われたが、2車のラインでの立ち回りは浅井をもってしても簡単ではなかった。三谷、桑原に交わされて3着がいっぱい。
「あのタイミングで(三谷を振って)行って、止まらないってことは番手の勉強しないとダメ。自分の調子は上がってたし、深谷も仕上がってた」
平原に乗った武田が直線で差し脚を伸ばすも、逃げた深谷を交わしての4着がやっと。近畿地区から生まれたニューヒーローの優勝をたたえる。
「悔しいけど、(平原に任せて)僕は力勝負をしたわけじゃない。先行で決勝に上がって来れる選手(三谷)っていうのは、特別を獲れる選手ですから。僕も若いころはそれを目標にやっていた。村上(義)君が欠場したけど、こうして村上君が育てたラインが勝った。村上君の力は改めて偉大だなと」
「いろんな判断ミスがあった。最終的にホームで休まず行けば…。(山田にブロックを)もらってしまった」とは、G1で3連覇がかなわずの平原。