短期集中連載『ダービー王』第4回 ~武田 豊樹(茨城・88期)~
~競輪の灯は決して消さない~。「第74回日本選手権競輪(G1)」は、新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため、開催中止という苦渋の決断に至った。輪界でもっとも権威のあるタイトルの覇者が今年は不在。寂しい限りだが短期集中連載『ダービー王』では、日本選手権を制した現役選手に当時のさまざまな思いを振り返ってもらった。連載第4弾は29歳でデビューと遅い輪界入りながら、現在まで7度のG1とグランプリを制している武田豊樹(茨城・88期)。初タイトルとなった09年の岸和田ダービーは、加藤慎平と僅差の勝負を演じて戴冠を果たした。
2020年5月8日 15時12分
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選手詳細データ
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武田豊樹 選手茨城・88期
大好きな競輪がまたできるように
「スポーツ選手としてのキャリアはあったけど、競輪のキャリアは少ないですから。(G1優勝は)厳しいとは思ってた。でも、簡単に優勝できなかったのが(そのあと結果的に)良かったのかもしれない」
02年アメリカのソルトレークシティで行われた五輪のスピードスケート500メートルで8位入賞。その後、スピードスケートを引退し、03年7月に競輪選手としてのキャリアをスタートさせた。05年には日本選手権でG1のファイナル初舞台を踏み、続く高松宮記念杯では準Vとタイトル獲得も時間の問題と思われた。
「日本選手権っていうのは自分の目標で、自力で優勝したいっていうのがあった。ただ、(05年の高松宮記念杯から)長くタイトル(の優勝争い)から遠ざかっていた。僕はデビューしたのが遅くて、これが最後のチャンスかなっていう思いはあった」
結果的には09年ダービーを皮切りにグランプリも制覇。高松宮記念杯、オールスター、競輪祭ではそれぞれ2度の優勝と輝かしい戦績を残しているが、武田はこの岸和田ダービー決勝に背水の陣で臨んでいた。
「海老根(恵太)君もいましたけど、村上(義弘)君との2分戦のような感じでした。村上君が強かったんで、まくりに回って優勝するのが目標だった」
村上には加藤慎平、山口幸二、山内卓也の中部3人が付いて、4車のロングラインが形成された。兵藤一也との2車の武田は、5番手を確保して村上が主導権。武田は最終バックからまくり上げた。
「ラインも長かったし、村上君の先行がうまかった。最終バックが一番掛かっていて、一番まくりづらい先行だった。ゴールした瞬間、(加藤に)負けたと思いました」
村上の番手から追い込む加藤と武田の体が重なったところがゴールだった。写真判定の結果、外の武田が微差で交わしていた。
「あの時の準決は神山(雄一郎)さんとのタッグで気合が入った。僕がもつ距離じゃない先行をしたんだけど、神山さんが頑張ってくれた。“競輪”っていうレースでしたね。神山さんは決勝でもアドバイスをくれた。そういうものが自分にとっては、いまでも財産になってます」
神山、平原康多らと関東勢の歴史を築いてきた武田はいま46歳。昨年は2月の全日本選抜で優出も、一昨年、昨年と落車による怪我の影響が尾を引いている。
「年々痛みも出てくるし、なかなか故障をした部分が…。ただ、いまも目標をもってトレーニングに励んでいる。最近は少しずつ1着も取れだしてきている」
競輪一筋に取り組んでいる武田の気持ちは、ブレることがない。
「今回のコロナウイルスの影響というより、取手が改修(工事)で6月まで使えないっていうのが(トレーニングに関しては)大きい。やっぱり地元が使えないっていうのは。街道しかないけど工夫してできることをやっている。(新型コロナウイルス感染症の影響で)決まっていた仕事が直前になってキャンセルになってるけど。また大好きな競輪がしっかりとできるように、毎日一生懸命やっている。応援してくれるお客さんにいい姿を見せられるように」
2020年5月8日 15時12分
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武田豊樹 選手茨城・88期