アッと驚く佐藤慎太郎のV
平成から令和へ。時代が移り、輪界も競走形態に変化が生まれたが、追い込み選手が輝きを失うことはなかった。
「速いだけ。若さ、スピード、脚力だけで勝てるっていうんじゃないのが競輪の面白さだと思う」
脇本雄太、新田祐大に代表されるナショナルチームが、競技だけでなく競輪でも活躍。6月のルール改正もあって、自力タイプ全盛の流れは加速した。それでも佐藤慎太郎は、2月全日本選抜の準Vをはじめ、着実に賞金を積み重ねて13年ぶりのグランプリ(GP)チケットをつかみ取った。
「(03年から4年連続で出場した)当時のようなギラつきというか、ガツガツしたのがなくて、(今回は)落ち着いてすごせたのがよかったのかと。当時は獲りたい気持ちはもちろん、“佐藤慎太郎”っていうのをアピールしたいっていうのもあった」
先輩には岡部芳幸、伏見俊昭、そして後輩に山崎芳仁。そうそうたる同県の仲間たちのなかで、自らのポジションを確立させる必要があった。そこから10年以上の時が流れ、佐藤も40代に突入。出場メンバー最年長でのグランプリのパートナーは新田だった。
「(ここまでは)自分のなかで、もうダメだなって思うことは一度もなかった。またいつかグランプリに出られる。そしてG1を獲れるって思ってやってきた。それを支えてくれた人たち、応援してくれたファンも含めて、少しは恩返しができたと思います」
3度のビッグ準Vでグランプリ出場にはこぎつけたものの、今年はビッグを34走して2着が13回。ここまでビッグでの勝ち星はゼロだった。
「(グランプリの優勝は)格別というよりも、自分でも信じられないというか、実感がわかないですね。(ファンの声援が)グッと来て涙が出そうになりました。やっぱりずっと応援してくれている人たちが、本当に喜んでくれている姿も見えましたし、本当にうれしかった。本当は泣きたいくらいの感じなんですけど、僕が泣いたらおちょくられますからね(笑)。恥ずかしいんでこらえました」
レースの流れをつくったのは大方の予想通り、ナショナルチームの2人だった。脇本が抜群の加速力で主導権を握ると、新田が驚異的なダッシュ力で番手に飛び付く。外に浮いた村上博幸が遅れ、脇本、新田の両者の勝負かに思われた。が、最後に物を言ったのは、経験に裏打ちされた佐藤の追い込みのテクニックだった。逃げる脇本と外を踏み込む新田との間を絶妙なタイミングで入り、ハンドル投げで4分の1輪、脇本を交わした。
「(新田は)何本もG1を獲っている選手だから。新田の後ろってことで、そこに付くってことだけを考えていれば良かった。それは気持ち的に楽だったかもしれない。(ゴール直後に優勝したかは)わかりませんでした。ファンの方は、みんな(佐藤)慎太郎だって言ってくれてて、それでビジョンを見たら僕が写っていた。ただ、一度間違ってヘルメットを投げてしまったことがあるんで今回は確認してからにしました」
グランプリに出場した9選手のなかで、追い込み選手は佐藤と村上の2人だけ。追い込み選手がグランプリに出場するのですら厳しい時代に、佐藤はグランプリを制した。
「僕は生涯競輪選手であり続けたい。また来年も再来年も、またこのグランプリの場に戻ってこられるように。あきらめることなくですね。強い時だけではなく、ちょっと調子が悪い時も、慎太郎はもう終わったんじゃないかと言われた時もあったと思うんですけど。あきらめずに応援してくれたファンのみなさんと、喜びを分かち合えて本当にうれしい。でも、いぶし銀じゃなくて、ピカピカの銀になっちゃいましたね(笑)」
11年以来のS級S班はチャンピオンの証、純白のチャンピオンジャージをまとい、追い込み選手としての存在価値をさらに高めていく。
先行勝負で出し切った脇本雄太は惜しくも準優勝。〝先行日本一〟のプライドを持って戦った。
「グランプリ史上、何人かしか達成していない先行逃げ切りを狙ってました。宣言通りインパクトのあるレースがしたかったのは本心だし、納得はしています。結果は残念だけど、あともうちょっと。まだグランプリで終わりじゃない。戦いは続くので」
「すごいレベルの戦いだった。もうちょっと直線があれば…。伸びていったけど足りなかった」とは、直線で外を強襲した平原康多。
「スピードを殺したくなかったんで、松浦(悠士)に当たっていったけど、清水(裕友)と郡司(浩平)の間を行ってれば。でも、自分のその時の判断だった。悔しいですけど、(優勝を)狙った結果ですから」