小松崎大地が通算200勝 ~小松島競輪場~

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小松崎大地
3日目、11レースの準決は気心知れた和田圭とタッグ
気持ち高ぶる“第二の故郷”

 小松島競輪場で開催されている開設71周年記念「阿波おどり杯争覇戦(G3)」は、7月2日に2日目が行われ、二次予選で勝ち上がりが争われた。今シリーズただ一人のS級S班、松浦悠士が敗れる波乱もあったが、地元勢は4人が準決に進出した。また、小松崎大地(福島・99期)は、競輪選手になる前の思い出の地、徳島でデビュー通算200勝のメモリアルを遂げた。

 「(200勝のなかで)順位はつけられないけど、1つあげるとすれば大垣での記念初優勝ですかね。200勝全部がラインの力の勝利。ラインの力で走る選手としては、大垣記念は象徴的かなって思います」
 1つ1つ積み重ねた勝ち星に思いを巡らせながら、こう振り返った。競輪学校には適性で入校。独立リーグ四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスに所属していたが、プロ野球選手の道を断念。その後、師匠の岡部芳幸(福島・66期)のもとでトレーニングを積んで、11年1月に競輪選手としてデビューした。それだけに徳島には特別な思いが詰まっている。
 「徳島市内の寮に4年間住んでました。(選手になる前に)小松島競輪場で乗らせてもらったこともある。小松島に呼ばれるのは4年ぶりなんですけど、やっぱり徳島に来ると気持ちの高ぶりが止めらない」
 レース後も感情を高ぶらせることなく物静かな印象の小松崎が、“地元愛”をあらわにする。それだけに通過点ではあるものの、区切りの200勝をここ小松島でラインの渡部幸訓と決められたことに大きな意味がある。
 「小松島競輪場でできたことをうれしく思います。今日(2日目)の1着がたまたま200回目。ラインのおかげでたくさん勝たせてもらって、その積み重ねが今日だったんだと思います。後ろが(渡部)幸訓君なんで、信頼できる追い込み選手だから、自分が仕掛ければいい結果はついてくると思ってた」
 記念初制覇となった大垣では、同地区の頼もしい後輩、新山響平のエスコートがあった。9人が1つになって戦う野球とは違うが、9車が織りなすライン構成のチームプレーを小松崎は大切にしている。
 前回の高松宮記念杯を1229着。一昨年以来となるG1ファイナルの舞台を踏んだ。勝ち上がりで見せた隙のない立ち回りは、小松崎の進化を証明するものだった。
 「当たり前のことが難しく感じ、当たり前が当たり前と感じなくなるまで反復する。これが自分の高校の野球部の教えでした」
 二次予選で1番人気に応えての200勝。ファンの目には勝って当然と思われるレースでも、小松崎にとってはたやすい勝ちは1つもなかった。それはこれからも同じ。ファンの期待に応えるために、小松崎は勝利の方程式をその体にすりこませる。

竹内祥郎記者

2021年7月2日 20時05分

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