近畿の力が生んだ賞金王
昨年、初めてのグランプリは、近畿ひとりだった。それだけに三谷は、近畿勢が築き上げてきた“ラインの競輪”の重みを感じずにはいられなかった。
「ダービーも高松宮記念杯もラインができて、そのラインのなかで走った結果なんで良かった。近畿の強さを改めて実感できた」
終わってみれば近畿一色の18年だった。6つのG1のうち三谷、脇本がともに2つのタイトルを獲得し、G1表彰台には延べ11人が上がった。
4人でひとつのラインにまとまったグランプリも自然の流れだった。ダービー、高松宮記念杯と同じく脇本の番手。Vポジションでもあると同時に、狙われる位置でもあり計り知れない重圧があった。
「(脇本が)非常に掛かっていんで誰も来られないかなと思っていた。それでも清水君が(まくって)来たので、少し張ったりした」
近畿の4車が出切って、先頭の脇本が風を切る。そのまま脇本とのゴール勝負かに思われたが、打鐘でのアクシデントでリズムが狂った脇本にいつもの強靭な粘りがない。それでも清水のまくりを張って、三谷が冷静に対処した。
「あとは外に浅井さんとかが見えたので、しっかり踏んで優勝を狙いにいきました」
直線、連覇を狙う浅井が外から迫ったが、三谷が2万人を超えるファンの前で先頭でゴールを駆け抜けた。1億円超の優勝賞金を加算し、02年の山田裕仁(61期・引退)の年間獲得賞金額の記録を更新して初の賞金王に輝いた。
「記録を抜いたことはうれしい。今年は本当にダービー優勝から、いろんなことがあった一年でした」
10月5日には61歳の誕生日を祝った数日後に最愛の母・湖雪(こゆき)さんを亡くしたが、政史、将太の2人の兄と支え合い、激動の一年をグランプリ制覇で締めくくった。
「本当にいままで育ててもらって、すごく感謝していた。だから、もう少し一緒にいたかったなっていうのはありますけど。(グランプリを優勝して)いい恩返しができたんじゃないかなと。(来年は)1年間、(チャンピオンユニフォームの)1番車っていうことで、責任感のなかでしっかり走りたい」
昨年、100期代として初のタイトルを奪取した三谷が、平成最後のグランプリチャンプに輝き、輪界の新時代を切り開いていく。
連覇がかかる浅井は、最終バック8番手もまくり届かずの2着。
「平原さん(のライン)の後ろと。平原さんがもう1個、清水君の前なら面白かった。平原さんに付いていって、そこから仕掛けたとしても(最終)3コーナーで浮くんで、それまでに平原さんの横までいこうと。もうちょいでした」
最後方に置かれた新田は、落車事故を避けての3着が精いっぱい。
「脇本君が結構、掛かっていった。ただ、誰もなにもしないってことは絶対にない。清水君、平原さんの動きを見てと思っていた」
信念の先行策も脇本は、直線で力尽きて5着に敗れた。
「一番の分かれ目は、ジャン前の2コーナー。浅井さんの動きでバランスを崩して、焦ってしまいました。もう1回、立て直してから行けば確実に粘られますからね。ラインごと全滅は絶対に避けたかった。自分のタイミングではなかったけど、(最終)4コーナー勝負はできると思ってました」
単騎の清水は、5番手確保からまくりで見せ場を演出した。
「しょうもないレースだけはと思っていた。僕が(押さえに)行かないと誰も動かんでしょう。あとは見てもらった通り力の差が…」